会崎秀図『われらゲームの世代 デジタル・ノスタルジアの未来』kindle版、2013年。
おかげさまで、無事刊行の運びとなりました。
epub上に問題があるかもしれませんが、もし何かあればご一報いただければ幸いです。
「本書では、昔のゲームを語りつつ、当の「ゲームを語る」ということがどういう意味を持つのかを考えていきます。僕たち(特に僕自身は30代半ばです)は、総じて「ゲームの世代」といえると思います。その意味するところは、ゲームが好きで、ゲームをしながら子ども時代を過ごしてきたというだけではなく、今や僕たちがゲームを語れば、それ自体が自分たちの半生を語ることになってしまうということです。ゲーム=世代、人生になっているということが、良くも悪くも大事な点です。
けれども、考えてみれば、こうしてゲームと世代や人生がくっついてしまっていることがどういう意味を持っているのかについては、これまであまり考えられてこなかったように思います。ゲームを批評したり、ゲームが好きだという人はたくさんいても、こうしてゲームを語り、ゲームに関わることが、今の僕たちにとってどういう意味があるのかについては、何となくノスタルジアだという以上にははっきりとしていないと思うのです。
本書では、ゲームを実際に語ることによって、単なる過去を懐かしむノスタルジア以上の意味があることを示します。ゲームというデジタルな世界は、それ自体がバーチャルであるが故に、同じくバーチャルといえるノスタルジアと相まって、他でもありえた可能性を強く提示します。その可能性は、同時に、未来への指針です。僕たちは、ゲームの力を通じて、新しい一歩を踏み出すことができるのではないかと思うのです。」
2013年4月17日水曜日
2013年4月16日火曜日
KDP続報
はやいもので、おそらく24時間経たないうちに完了の連絡が来た。
おぉ、という感じだが、どうも表示画像がおかしい。。。
修正アップロードしてみたのだが、
改めて再チェックになるのか、ページそのもののデザインは今のところ変化無し。
画像も1メガ切っていたのだが、それでも駄目か。。しばし待ち。
おぉ、という感じだが、どうも表示画像がおかしい。。。
修正アップロードしてみたのだが、
改めて再チェックになるのか、ページそのもののデザインは今のところ変化無し。
画像も1メガ切っていたのだが、それでも駄目か。。しばし待ち。
2013年4月15日月曜日
キンドル・ダイレクト・パブリッシング
忙しいことこの上ない今日この頃だが、書籍化もせねばと作業をしてみた。ジセダイに投稿もしてみたのだが、何のリアクションもない次第(当たり前だろうけれど)。というわけで、このご時世だし、自分で出版してみようと。
ジセダイ 新人賞投稿
われらゲームの世代
最初に目にとまったのは、最近オンデマンドを始めたというMyISBNだった。
これはいい。便利だと思ったのだが、表紙を作って行き詰まった。
うまくアップロードできない。。。
考えてみれば、価格も結構高めに設定する必要があるし、最初から電子書籍一本にしたらどうだろうかと思い直したのだった。
電子書籍データがPDFならば簡単なのだが、どうもepubが必要になるらしい。これがよくわからない。ネットで検索した結果わかったのは、どうもepub=zipであり、その中身はhtmlファイルらしい。どうやって作るのだろうと思ったのだが、自動でテキストファイルをepub化してくれるサイトを見つけた。
ひまつぶし雑記帖
すばらしい。これまでの原稿をざくっとまとめて、一瞬でepubが出来上がる。画像の処理などは、一度型ができれば手作業で入れ替えていける。ホームページを作る要領と同じだ。
epubをzipで解凍し、中身を修正する。ついでに要領がわかってきたので、表紙もかっこよくデザインしてみる。その上で、改めてzipにして圧縮し、拡張子をepubに戻す。
・・・のだが、zip圧縮に際して少しこつがいるらしい。minetypeについては、無圧縮で処理せねばならないという。何とも面倒な話だが、7-zipが使えれば楽と言うことで、ここはwindows上で処理をする。こちらも先のサイトに書いてあって助かった。
epubファイルができあがり、ようやく、キンドル・ダイレクト・パブリッシングへ登録を試みる。あれやこれや記入し、最後にepubをアップロードするのだが、どうもうまくいかない。。。エラーになる。
探してみると、mobiとかいう形式に直した方がいいというような説明もある。kindle previewerやらkindlegenやらをダウンロードして利用してみるが、うまくいかない。そもそも、kindlegenなんてコマンドラインじゃないか。成功と言われているのにプレビューできないとはどういうことなのかよくわからない。
正直あきらめかけていたのだが、epubのまま、最後にもう一回アップロードしようと思ってやってみると、支障なく成功。なぜさっきは駄目だったのだ。。。
金額も設定し、別に儲かるわけでもないだろうから、ワンコインで100円でどうだろう。35%印税だから、1万部売れれば35万円だ(笑 無事出版されたら、がんばって宣伝でもしよう。
こんな感じで、予定通り行けば、キンドルストアに並ぶはず。。。(うまくいったら、他のサイトでも売りに出そう。)
ジセダイ 新人賞投稿
われらゲームの世代
最初に目にとまったのは、最近オンデマンドを始めたというMyISBNだった。
これはいい。便利だと思ったのだが、表紙を作って行き詰まった。
うまくアップロードできない。。。
考えてみれば、価格も結構高めに設定する必要があるし、最初から電子書籍一本にしたらどうだろうかと思い直したのだった。
電子書籍データがPDFならば簡単なのだが、どうもepubが必要になるらしい。これがよくわからない。ネットで検索した結果わかったのは、どうもepub=zipであり、その中身はhtmlファイルらしい。どうやって作るのだろうと思ったのだが、自動でテキストファイルをepub化してくれるサイトを見つけた。
ひまつぶし雑記帖
すばらしい。これまでの原稿をざくっとまとめて、一瞬でepubが出来上がる。画像の処理などは、一度型ができれば手作業で入れ替えていける。ホームページを作る要領と同じだ。
epubをzipで解凍し、中身を修正する。ついでに要領がわかってきたので、表紙もかっこよくデザインしてみる。その上で、改めてzipにして圧縮し、拡張子をepubに戻す。
・・・のだが、zip圧縮に際して少しこつがいるらしい。minetypeについては、無圧縮で処理せねばならないという。何とも面倒な話だが、7-zipが使えれば楽と言うことで、ここはwindows上で処理をする。こちらも先のサイトに書いてあって助かった。
epubファイルができあがり、ようやく、キンドル・ダイレクト・パブリッシングへ登録を試みる。あれやこれや記入し、最後にepubをアップロードするのだが、どうもうまくいかない。。。エラーになる。
探してみると、mobiとかいう形式に直した方がいいというような説明もある。kindle previewerやらkindlegenやらをダウンロードして利用してみるが、うまくいかない。そもそも、kindlegenなんてコマンドラインじゃないか。成功と言われているのにプレビューできないとはどういうことなのかよくわからない。
正直あきらめかけていたのだが、epubのまま、最後にもう一回アップロードしようと思ってやってみると、支障なく成功。なぜさっきは駄目だったのだ。。。
金額も設定し、別に儲かるわけでもないだろうから、ワンコインで100円でどうだろう。35%印税だから、1万部売れれば35万円だ(笑 無事出版されたら、がんばって宣伝でもしよう。
こんな感じで、予定通り行けば、キンドルストアに並ぶはず。。。(うまくいったら、他のサイトでも売りに出そう。)
2013年4月7日日曜日
数学ガール フェルマーの最終定理
結城浩『数学ガール フェルマーの最終定理 (数学ガールシリーズ 2)』ソフトバンククリエイティブ、2008。
一冊目に続き、読み終わった。後半の難易度は、はじめてきく話ばかりで、正直ついていけない。前回同様、一度ぐらいは何となく話は聞いたことがある、知っていると言う状態で、その理解を深めるという書籍だろうと思う。個人的には、フェルマーの最終定理、その証明の難しさは際立った。
しかし証明そのものはわからなくとも、数学とはこういうものなのだと言う感覚はつかむことができる。特に前段のある程度理解できる箇所を読みながら思うのは、昔、自分自身もこういう手続きをいろいろと考えていたということであった。
ただ、決定的に異なっていたのは、当時、僕にはその意味を教えてくれる人がいなかった。行き詰まった証明手法について、しかしそれがどういう意味を持っていたのか、気付かないままに何をなそうとしていたのかは結局闇の中だった。素数の意味も、偶奇を調べるという方法も、それが何であるのかはわからないままだった。もちろん大半は言い訳だが、教える人に恵まれていなかったということだろう。
前回に続き、複素平面は特に印象深い。少なくともこのアイデアを習った記憶はない。理系ならば当たり前かもしれないが、この座標を使えば素数すら砕くことができる。数学は面白いと久方ぶりに思った。
さて、次はゲーデル。こちらはざっくりと証明方法を聞いたことがある。理解できるかどうか。
2013年3月20日水曜日
DNAでたどる日本人10万年の旅
崎谷満『DNAでたどる日本人10万年の旅―多様なヒト・言語・文化はどこから来たのか?』昭和堂、2008。
そもそも、DNAで日本人の10万年をたどることが可能だということが驚きである。「DNA多型分析は、確実な生物学的な指標として過去のヒトの移動を追跡することが可能である」と、著者は最初に書いている。そして、現生人類のアフリカでの誕生、次いで一部のグループの出アフリカ、更に世界各地への進出と、実に壮大な話にすっかり圧倒される。しかし私の場合、本を読み進めて行く際に、内容を理解するのにかなり手間取った。私が持っている先入観が、多分理解の障害になったと思う。原始・古代に関する予めの先入観が、この本ではぐらりと揺さぶられる。
この本で用いられているDNA多型分析は、男性系列で繋がるY染色体に関するものである。10年くらい前に、世界中の男性から集められたY染色体多型の分布が調べられたらしい。その結果から、現生人類は9万年くらい前にアフリカで誕生したと推測される。(女性の系列で繋がるミトコンドリアDNAからの推測では20万年~14万年前らしい。)
又、Y染色体多型の種類は、大別して五つのグループに分けられるようだ。うち、二つのグループはアフリカに留まり、残りの三グループがアフリカを出たことが分かっている。この出アフリカの三グループの末裔が世界に広がって、今日に及んでいることになる。この本では、特に男性のY染色体多型の分布を基に、日本列島におけるその特異性が強調されている。日本には、出アフリカの三グループすべてが到達して現存しているのである。
この本に盛り込まれた内容は豊富であり、目次は次のようになっている。
第1章 日本列島におけるDNA多様性の貴重さ
第2章 多様な文明・文化の日本列島への流入
第3章 日本列島における言語の多様な姿
第4章 日本列島における多様な民族・文化の共存
第5章 多様性喪失の圧力に対して
日本列島に、最初に現生人類が到達したのは、後期旧石器時代である。そこから、新石器時代に入り、縄文文化、弥生文化と、それぞれの時代に様々なグループが流入する。それらが、現在生きている日本人男性のY染色体多型にそれぞれ該当する。それらのグループのY染色体多型の分岐時期、そして大陸から日本へと到る移動経路も、おおまかに推測可能のようだ。各時代の民族・文化とY染色体とが、重ね合わされる。そして、各時代に流入したグループのY染色体が現存するということは、それぞれが日本列島では生き延びることができたということだ。
一方で、各グループの大陸における移動経路には、今やY染色体の多様性が少ない。例えば、縄文文化の中心となったグループのY染色体は、日本でしか見られない。同じ系統のグループは、遠くチベット・ビルマにしか現存しないらしい。そこから著者は、東アジアにおける民族の存亡をかけた凄まじい戦争の歴史を想定している。日本列島には、大陸で生存競争に敗れたヒト集団が流入したというのだ。
この本はY染色体多型を基にした分析だが、現在調査中であるらしい女性系列のミトコンドリアDNAの分布が明らかになると、更に新たな発見が生まれそうだ。こうしたDNA分析から日本人や日本文化を考える視点は、今後ますます重要になるだろう。
2013年3月14日木曜日
数学ガール
結城浩『数学ガール (数学ガールシリーズ 1)』ソフトバンククリエイティブ、2007。
オイラー展開にまつわる数学の証明を軸にした小説風の読み物。タイトルだけをよむと『もしドラ』系をイメージするが、中身は相当に数学的な証明が続く。恐らく読み手として想定されているのは、オイラー展開をすでに知っている人という感じだろう。
理系数学の知識がない身としては、途中の証明プロセスはよく分らないところが多かった。登場人物でいえば、テトラと同等か、彼女にも及ばない。とはいえ一方で、高校のころに勉強したような数学を思い出しながら、こういう授業をどこかで受けられていたら、もう少し数学の楽しさがわかったかもしれないと感じる。
抽象化された数学式は、証明の空間としてあるようだ。昔の授業のさいに、教師が延々と黒板だけに向かって式の展開やら証明を書き続けていたことを思い出す。だからなんなのだ、結果さえわかっていればそれで十分ではと、今でも、思うけれど、その証明の空間の楽しさこそ、彼らは本当は伝えるべきところだった。それは、自分が証明してみせるもののではなくて、その意味を伝え(たぶん、この力が、教師にはほとんどないのだろう。単純に、その才能はないから)、生徒を引っ張り込める空間とみるべきだった。
わからないなりにも、いくつか面白いところがあった。例えば、素数に1を含めない理由は、素因数分解の一意性が崩れてしまうからだという。なるほど、そういう理由かと思った。また、振動するようにみえる数式を回転として捉え直すとsinθやらcosθでの記述になるということも、新鮮だった。数学の初歩なのかもしれないが、引き続き、読んでみようと思う。
2013年2月25日月曜日
当事者研究の研究

石原孝二『当事者研究の研究 (シリーズケアをひらく)』、医学書院、2013。
最近様々に注目を集めている当事者研究についての研究である。タイトルの通り、前段は当事者研究そのものではなく、当事者研究という研究の可能性を問うている。後段は当事者研究を行なってきた研究者の考察も含めて、対談が収められている。この領域は正直とても難しいという印象が非常に強いが、その分、論考はいずれも興味深い。
当事者研究というと当事者主権等も一つのテーマとして関連していると思われるが、ひとまずはわけておいた方がよさそうだ。当事者研究は、元々の契機からいうと、障害や問題を抱える当事者が、自らの問題を「研究」することを素直に意味している。その目的は、はっきりしないところもあるが、障害や問題の解決(通常の意味の解決はないとみたほうがいいようだ)がまずあり、その上で、その方法や成果について、当時者を離れて多くの人々にも示唆がある、とみなされる。
障害や問題の解決が最大の目的かどうかはっきりしないというのは、当の解決が通常の意味で理解される場合、それは研究というよりは治療と呼んだ方が良いように思われるからである。そういわないのは、それだけの理由があるからだ。と同時に、当時者を離れたその方法や成果の示唆について、それは二次的な成果であるというよりは、むしろこの点まで含めて重要な意味を持つと考えるところに、研究であることの意味と、合わせて、通常とは異なる解決の可能性が見出されている。研究するということは、すでに、自分の問題を自分の問題ではない形で取り扱う、ということが含意されているといえる。
一番印象的だったのは対談の一節。
「・・・当事者研究は、(幻聴障害という問題を)『幻聴さん』という形で外在化しつつも、それを自分の大事なものとしてまた自分の中に引き寄せてちゃんと抱えているんです。しかしそれは『持ちやすい形』にして抱えられているんですね。・・・研究という形で担われることによって、その問題自体が変質しているんじゃないか(163頁)。」
これが望ましい「解決」かどうかはまったくわからないが、、、しかし、研究という意味では、一つの方向性が提示されるように思われる。
本文でも書かれていたが、この当事者研究という方法そのものが、後はどのくらい一般の人々にも応用可能かというところも重要だろう。しかしもともとは「一人一研究」という企業の方法だったことからすれば、いろいろと汎用性がありそうだ。というよりも、この手の方法は、いわゆるトヨタに代表されるカイゼンやTQCのような気がする。
もっといえば、問題を自ら切り離し、対象化し、その上でそれを取り戻すという方法は、「科学」にも通底する気がする。もっとも科学の場合は、最後の取り戻すという段をほとんど止めてしまっている(あるいは、さっぱり分業化している)という点で、批判的な考察を行なうことができるのかもしれない。このあたりが、前段の研究者の狙いのような気もする。
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