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2021年2月10日水曜日

アンドリュー・W・ロー「適応的市場仮説」2020年、東洋経済新報社。



 2020年のコロナ禍においてタイミングよく日本語訳されていた。表題の通り、本書では、適応的市場仮説が従来的な効率的市場仮説に対して提示される。このところ書いていた通り、インデックス系の投資の問題や課題が気になっていたところなので(「COVID-19が作り出すアクティブ投資の芽?」)、これに変わる新しいアイデアや論理があるのかもしれないととても期待して読んだ。が、ざっと見た限りでは、それほど新しい何かが提示されているとは感じなかった。心理学や神経科学やいろいろな他学問の知見が取り込まれているというが、株式市場を考える論理としては、あまり新しいようには思えない。

 彼自身の研究の成果として、効率的市場仮説がいつでも十全に働いているわけではないという可能性はありそうである。もし、効率的市場仮説を(ことのほか)強く、全面的に信じている人々がいるとすれば、反証としての価値がある。例えば初期の研究と思われるLo and MacKinlay(1988)では、ランダム・ウォークの想定とは異なり、2週間で測ったリターンの分散は、1週間で測ったリターンの分散の3倍になったことが示される(2倍にはならなかった)。また、今日の株式のリターンと明日の株式のリターンの自己相関を調べた分析では、相関が見られない時期、つまりは予測が不可能でありランダム・ウォークが成立していると言える時期と、そうとは言えない時期があったことが示されている。

 とはいえ、こうした結果が示すのは、株価は時々は(あるいはもしかするとかなりの期間は)予想可能になる(ように見える)ということであり、日常的にはむしろ自然であるように思われる。その理由は、他の学問を援用して、難しく言わなくてもいい。「適応的市場仮説は、価格に入手可能な情報がすべて自動的に反映されるわけではないとの見地に立つ(323)。」「適応的市場仮説に従えば、金融環境や市場の人口の動向次第では、投資家がしばらくの間、持続的なリスク・プレミアムを享受することも不可能ではない(387)。」現実を見ても、その通りであろうとしか言いようがない。研究として挑戦すべきなのは、むしろ常識に反するような完全な効率的市場仮説ではないかとも感じてしまう。

 個人的に、ランダム・ウォークの基本的なアイデアは、それが経済学的な理論基盤とどの程度対応するのかは別にすれば、未来はほとんど予測不可能なのだから細々動くのではなく、ただ世界は長期でみれば成長していくということを信じるだけで良いということだと考えている。ここから、だからインデックスへの投資こそが最適であり、それ以外の選択肢よりも期待利益も必ず高い、とまでいう必要はあまり感じない。個々時々において、それ以外の選択肢の方がうまくいくということもあると思う。現在の状況も、その側面がある。

 いくつか興味深いと思った点の一つは、リスク・プレミアムが得られる理由として、投資家が新規参入を続けている場合が挙げられていたことである。ネットの進展とグローバル化は、投資家の数を確実に増やしている。彼らは先日のゲームストップのような大きなうねりともなりうるが、基本的には、リスク・プレミアムの基盤となっているようにも思われる。コロナ禍も同じであろう。とすれば、冒頭の話に戻り、しばらくの間はアクティブ投資が有効になっていると見てもいいのかもしれない。ただもちろん、この流れに乗ることは、自身をジョージ・ソロスと同じような能力の持ち主であると考えることにもつながってしまうだろう。

 ざっと書評記事をネットで見た限り、上で述べた以上の中身に対する評価がわかるものはほとんどなかった。

「適応的市場仮説」コロナ禍で読むべき理由 マーケットを理解するための「進化生物学」

あらすじ、特に歴史的経緯の箇所を中心にまとめられている。「発散的であり、発展余地がつねにありうるものであるため、完成イメージとして確定的な姿をしていない。」という指摘の通りであり、それ以上を忖度する必要はなく、はいはい、知っているよ、ということであるように感じられる(本文にもちょうどオースティン批判のエピソードが見られる)。

マーケットの新常識「適応的市場仮説」の衝撃

訳者の記事だが、何が新常識で衝撃だったのかはわからない。理論としての意味を見出しているのか、実務上の成果に意味を見出しているのか。多分そのどちらでもないということのように感じられる。

コロナ後の進化とは~山崎元おすすめ図書: Adaptive Markets 適応的市場仮説から考察する~

著者がインデックス投資派?ということもあり、個人的にはイメージが近かった。「適応的市場仮説は、物事を理解する枠組みであって、枠組みだけを理解しても、何かが予想できるようになったり、投資でもうけられるようになったりするような「直接的なもうけの種」ではない。」その通りだと思う。しかも、なにか新しい枠組みであるというよりは、我々の素朴な認識の枠組み「うまくやれば出し抜いて儲けられるのではないか」を支持している。

市場万能説に代わる新理論AMHとは?

2010年の記事だが、こちらの方がわかりやすいかもしれない。「ローは市場の「生態系」を研究することこそ真実を見つける道だと考えている。生物学者が生物の種をリストアップして時系列でその盛衰を追うように、規制当局や行政は多岐にわたる市場参加者を分類すべきだという。」こういう研究が新たに必要であることは間違いない。「教訓とは、統合された大きなモデルを捨て去るべきだということだ。」こちらも書籍に書かれていたところでもある。誰もがそのモデルを利用するようになった時、そのモデルは価値がなくなる。適応的というのはそういうことではあろうと思う。