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2014年3月14日金曜日

団塊の秋

団塊の秋 
堺屋太一『団塊の秋』祥伝社、 2013

「団塊の世代」という用語は、著者が1976年に出版した「団塊の世代」という小説により、一般に使われるようになった。この小説は、2005年には新版が文庫本で出版されており、その前書きの中で著者がネーミングの由来を書いている。

著者は1970年の日本万国博の際、通産官僚として、その準備に携わった。そこで、若者たちがそれまでの日本人と異なる行動をするのを目撃して、次のような認識を抱いたそうだ。若者たち、つまり1947年から49年にかけて生まれた「膨れあがった世代」は、単に数が多いだけでなく、共通の経験と性格を持ち、社会経済に重大な影響を与える、という認識である。そこで彼は、鉱業の用語ノジュール(団塊)を借りて、これを「団塊の世代」と名付けたという。

1976年の小説「団塊の世代」は予測小説であり、経済分析を基にして1980年代前半、後半、1990年代中葉、2000年の社会が想定される。そして、それぞれ異なる主人公の生活が描かれるが、彼らは皆、団塊の世代に属する。4つの物語の中で、団塊の世代の主人公は、30歳台、40歳台、50歳台になっている。その小説の中で描かれた経済や社会に関する予測の多くが、今見ると現実の動向に重なっていた。そこで、2005年の新版も、全く手を加えることなく出版されたようだ。小説の最後の場面は、2000年の日本である。そこでは、「民族のバイタリティ」が話題になっている。「民族のバイタリティは時代の産物」、「日本民族の春と夏は短かった」、「今は民族の秋」という会話が交わされていた。

そして2013年になり、著者は「団塊の秋」という小説を出版した。この小説では、団塊の世代が、人生の秋を迎えた時期の予測、という体裁をとっている。2013年には、現実の団塊の世代は60歳台である。小説が扱うのは、2015年、2017年、2020年、2022年、2025年であり、団塊の世代の主人公たちは、60歳台、70歳台、80歳台になっている。

それぞれの時期の日本の経済・社会環境は、新聞記事として描かれている。2015年では、高齢者と若者の間で職の奪い合いが報じられている。2017年では、大阪が東京と並んで東洋7大都市の一つとなっており、かつての繊維街だった船場が、全く新しく変貌した街として紹介されている。2020年には、東京オリンピックが近づいていてお祭り気分はあるが、高齢化のため、スポーツ熱はしぼむ一方であると報じられている。2022年には、中古品市場が大繁盛。裕福な生活を体験した世代の高齢化、死去に伴って、奢侈品が市場に出回っているのだ。2025年には、終戦80周年となり、中国など各国が戦勝記念行事。日本の起こした戦争行為だけが目立っている。日本の政治体制が、戦前と変わらぬ官僚主導を継続しているためと報じている。

今の時点に立って、来し方行く末に思いを馳せるには、団塊の世代に着目した著者のこの40年以上を見通す分析・見通しが、とても役立つと思う。言わば、時代や世代に伴走しながらの同時代史の試みなのだろう。私自身が団塊の世代の一人であり、本書を読みながら、自分やその周辺の人びとのことが、色々と思い浮かんできた。

一方で、「団塊の世代」という括りが、現時点ではかなり無理があるのでは、という気がした。この世代のボリュームが、これまで影響力を持ったことは確かであろうが、60歳も過ぎれば個々人のばらつきが余りに大きい。これまで「団塊」として扱われることが多かったこの世代が、人生の最終段階に至り、ようやく一人ひとりの個性に向かうのではないか。「団塊の秋」に描かれた人物は、単に数多い老人の一例ということではなかろうか。


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