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2022年1月31日月曜日

トマス・J・スタンリー&ウィリアム・D・ダンゴ「となりの億万長者 新版」1996、早川書房。


トマス・J・スタンリー&ウィリアム・D・ダンゴ「となりの億万長者 新版」1996、早川書房

随分と前の本だが、今読んでも面白い。2013年に新版として日本語訳になっている。当時のアメリカ人の億万長者たちを調査した結果をまとめた書籍である。

タイトルが示唆するように、私たちの周りにも億万長者(100万ドル以上、大体1億円以上の純資産を持つ人々)はいるものだということを主張している。当時のアメリカで全体のわずか3.5%だが、逆に言えば、100世帯に3世帯は億万長者である。

日本でも、野村総研のよく知られた調査で言えば、1億円以上の純資産で富裕層とされ、2019年のデータでは超富裕層も含め約132.7万世帯ある。5000万世帯を全体と考えれば、2.6%程度である。アメリカよりも低いが、それでも100世帯に2世帯以上は億万長者となる。

ようするに、億万長者は周りにいそうだが、私たちは気付いていない。なぜか。それが億万長者の特徴であり、億万長者になるための条件でもある。多くの億万長者は、「普通の人々」なのである。

私たちがイメージする億万長者は、いい家に住み、いい車を待ち、いい服を着て、いい食べ物を食べている。だが、こういう人々は、総じて所得は多いものの、貯蓄は少なく、本書が言う億万長者ではない。理由は簡単である。支出が多すぎて、貯蓄に回らないのである。一方で、億万長者は、普通の家に住み、普通の車に乗り、普通の服を着ている。そして、所得が少しある。彼らは従って「普通の人々」であり、他の人と区別がつかないが、実は億万長者になるというわけである。

ここから、億万長者に私たちもなれることが示される。浪費しないこと。倹約、倹約、倹約し、貯蓄すること。あるいは貯蓄を賢く投資運用すること。それだけである。

興味深いことに、所得が多い人々は、高学歴で、社会的ステータスが高い人々が多い。彼らは、周囲の生活に合わせ、支出がどうしても多くなる。結果として、貯蓄は増えず、億万長者にはなりにくい。その時に良い生活ができれば十分だというかもしれないが、彼らは競合的消費にハマっているとも言えるし、税制などの環境的要因、さらには子供も浪費癖が付きやすく将来の不安を抱えやすいとされる。倹約し、億万長者を目指した方が結果的に幸せになるのではないかというわけである。

日本でも、この本を参考に「となりの億り人」が書かれている。こちらもとても興味深い。基本的な主張は同じで、より投資運用にフォーカスされている。日本でも、倹約し、貯蓄し、運用することが、億万長者への道ということだろう。




2022年1月19日水曜日

5000万と1億と5億を貯めることの違い

1億円という言葉はとてもキリがよく、目標になりやすい。1億円貯めよう、であるとか、1億円あれば、というわけである。同時に実際には、1億円が万能というわけではないので、1億円あっても実は、といった話にもなりやすい。この「1億円」は、実質的には、いったいどういう意味を持つのだろうか。

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1億円を貯め始める、一番いい方法
(貯まる方法ではないのかもしれない)

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例えば、お金持ちの基準といえば、野村総研による図表がよく使われている。この分類でいえば、真にお金持ちと言えるのは純金融資産が5億円以上であり、1億から5億は同じ分類で富裕層に位置づけられる。ちなみにその下は準富裕層であり、5000万から1億となっている。この基準から言えば、5000万、1億、それから5億でお金持ちの程度が分かれるといえるのかもしれない。1億円の意味を知る上では、5000万円と5億円についても検討した方が良さそうである。だがそれぞれの区分について、なぜその金額で分類されるのかについてはあまり示されていない。

野村総合研究所

5000万円が一つの区分となるのは、確かのようである。「お金持ちの教科書」によれば、5000万円ぐらい貯まってくると、人の意識が変わってくるとされる。すなわち、それまではお金を増やすことに意識が向いているが、5000万円ぐらい貯まると、今度はそのお金を減らさないことに意識が向くようになるという。配当生活への志向が芽生え始めるのである。「お金持ちの教科書」では、この意識の変化をお金持ちへの変化として捉えている。準富裕層がアッパーマスと区別される5000万円には、そんな意味があるということになる。


では5000万が1億になったとき、何か変わることはあるのだろうか。5000万円の減らさないことへの意識の変化とは、先に述べたように、配当生活への意識が増すということである。ベンチャーに投資して0か10倍かではなく、リスクを減らし、この資産を元にずっと3%程度の配当を得るためにはどうしたらいいのかということに意識が向かう。

この意識は、おそらく1億になっても変わらない。というよりも、5000万円で現実的に配当生活というわけにはいかないであろうから、1億、2億と原資を積み増していくことになるだろう。このとき、1億あっても、2億あっても、多分配当生活としては安定ではない。最低限の生活は可能かもしれないが、おそらくこの時に想定されているのは、副収入である。5000万円があり、金利3%だとすれば、年間150万円である。1億円ならば、300万円になる。通常の収入がある程度あっても、結構なお小遣いとなるだろう。この配当を安全に積み増していくという過程にある人々が、1−5億円の富裕層であるようにみえる。

つまり1億円とは、5000万円ぐらいから始まる配当生活への意識の成長期である。5000万のころに初めて芽生えるその意識は、1億円を越える頃から本格的になっていく。貯めていけば、完全なる配当生活が見込めるかもしれないからである。だが一方で、依然として完全なる配当生活は容易ではない。別途本業を持ちながら努力することになるだろう。この時期が1億円の頃に始まる。

とすれば、次に興味があるのは、5億の壁である。1−5億円と、5億円以上をわけるものは何かあるのだろうか。もちろん、5億以上という場合には、下限というよりは、そこから果てしなく上に上がっていくであろうすごいお金持ちが考慮されている。しかしながらここで考えてみたいのは、そういうすごいお金持ちも含めて、分岐点としての5億にどのような意味があるのかということである。先程の配当という点からみれば、5億円で3%金利ならば、1500万円となる。これは通常所得としてみても高額だといえるだろう。このぐらいになれば、配当生活とはっきりといえそうだ。4−5億円程度になれば、実際の配当生活が可能になるといえる。

富裕の意味が有閑階級のことであるとすれば、それはやはり、5億円以上ということになるのだろう。1億や2億はその通過点であり、働かねばならない(無理に働く必要はないにしても)という点においては、一般の労働者と変わらない。配当利回りがもっとあるということならば別だが(例えば利回り5%で安定しているのならば、3億あれば十分ということかもしれない)、それでも5000万円からはある程度の上積みは必要だろう。この期間が、1−5億円で区分された富裕層である。

5000万円や1億円は、したがって多くの人にとって目指すことができる目標であるともいえる。書籍やネット上でも、この金額は目標と往々にして目標となりうる。それは労働によって実現可能だからであり、その後も労働を続ける必要があるという意味において、地続きである。一方で、5億円(実際にはもう少し低いのかもしれないが)のハードルは高い。労働によって実現できるようにはあまりみえず、したがって、乗り越えようとすれば何かしら別の形の投資が必要である。いわゆる億り人系の記事をみていると、この手の傾向が強い。それは1−5億に収まる労働を伴う富裕層ではなく、最初から不労所得を狙うような富裕層である。

1億円を目指す。そして5000万円を超えた頃から、5億円以上の超富裕層が実現しているであろう配当生活が見えてくる。だがその実現は容易ではなく、あくまで副業の位置づけが続く。そのまま副業のままであれば、1億円の時代が続くということになるのであろう。逆に、本当に5億円を超えてくれば、次の段階が見えてくるということになる。