ゼビウスの分析2
とはいえ、「引用」による物語性の獲得もさることながら、より強く物語を喚起する源泉は、中沢によればゼビウス自身の完結性である。ゼビウスの世界においては、独自のゼビウス語なるものまで存在し、個別のエリア・マップを一本の軸によってつないでいる。プレイヤーが感じる物語性は、なによりもまず、このゼビウスの世界の完結性であるという。
中沢は、このプレイヤーがゼビウスの背後に感知する物語性を、切断不可能性、また、破壊不可能性として捉えている 。ゼビウスが一つの物語性を持つことで、先の「引用」の効果が相互作用的に引き出されることになる。
さて、ゼビウスに強い物語性を付与するもう一つの要素は、コンピュータによって操作される敵プレイヤーの絶妙な運動性である。敵プレイヤーの生きているかのような行動パターンが、先に用意された物語の中にかぶせられ、組み込まれていくことにより、ゼビウスはさらにすぐれた物語を手に入れることになる。
中沢によれば、ここに、神話的想像力の動きとカタストロフ的な分裂運動の結合がみてとれるという。つまり、一本の軸を与えられて連続的に進行していくかのようにみえる物語の展開と、そうした展開を無視するかのに振舞う敵プレイヤーの予測困難な展開の結合が、全体としてゼビウスに強い物語性を付与する。
こうして、ゼビウスは「引用」(および引用を更に支える自身の完結性)と、それを壊すようにも見える敵プレイヤーの運動性によって、物語性を手にする。プレイヤーは、この物語性に惹かれ、ゼビウスを体験することになる。ゼビウスが完結した物語性を有し、一方で、その時々で予測困難な分裂運動が入り込むことで、さらに物語が活性化するという感じだろうか。
こうした構造は、例えば山口(1983)が明らかにしたような、文化の弁証法的な活性化プロセスそのものであるともいえる。そして、その完結した物語の外部には、さらに、「引用」された別の物語が広がっている。となれば、ゼビウスの物語性は極めて強い。