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2012年10月11日木曜日

八月十五日の神話

八月十五日の神話 終戦記念日のメディア学 ちくま新書 (544)
佐藤卓己『八月十五日の神話 終戦記念日のメディア学』ちくま新書 (544)、2005

8月15日は、今日の日本人にとっては、終戦記念日である。これに疑問を持つ人は、余りいないだろう。異論があってもせいぜい、終戦でなく敗戦記念日だ、というくらいか。振り返ると、1945年8月15日の正午、昭和天皇は、国民向けのラジオ放送(いわゆる玉音放送)を行なった。この放送により、国民はポツダム宣言受諾を知った。

しかし、終戦記念日とされてもよい日は、実は他にも候補がある。日本がポツダム宣言受諾を決定し諸外国に伝えたのは8月14日だし、天皇が読み上げた有名な詔書の日付けも8月14日である。又、東京湾のミズーリ号上で、日本代表が降伏文書に調印したのは9月2日だ。更に、戦闘停止命令が出された日や、実際に停止した日は8月16日以降であり、地域によっても異なる。

一般に、終戦など外交に関することは国内向けではないから、対外的に重要な8月14日とか、9月2日とするのが国際的には通例らしい。ではなぜ、日本の場合、終戦記念日が8月15日なのか。そして、それにはどのような意味があるのか。この本は、新聞、ラジオ、テレビ、歴史教科書などメディアの伝えた情報を掘り起こしつつ、その実情を探っていく。その結果、随分興味深い話が、色々と明らかになっていく。

終戦の記録に関しては、例えば有名な「終戦の放送に泣き崩れる女子挺身隊員」の写真を始め多くが、関係なかったりやらせだったようだ。又、「終戦記念日」の法的根拠は、終戦から随分経って、1963年に閣議決定された「全国戦没者追悼式実施要項」である。一方で、戦没者慰霊行事は、1939年8月15日にラジオで全国中継放送された「戦没英霊盂蘭盆会法要」にさかのぼる。そこから更に進んで、お盆と甲子園高校野球との関係にまで話は及ぶ。なぜ、高校球児は丸坊主なのか、など。

著者は、京都大学教育学部准教授。専攻はメディア史や大衆文化論である。この本は、序章から三章まで、次のような内容構成となっている。
序章  メディアが創った終戦の記録
第一章 降伏記念日から終戦記念日へ-「断絶」を演出する新聞報道
第二章 玉音放送の古層-戦前と戦後をつなぐお盆ラジオ
第三章 自明な記憶から曖昧な歴史へ-歴史教科書のメディア学

この本が書かれたのは2005年、終戦から60年目の年である。著者は、この時期にこの本を書く理由を、次のように述べている。「戦後60年が今まさに過ぎようとしている。10年後、戦後70年に『あの日は暑かった』式の回顧が体験者によって語られる可能性は少ないだろう。『あの日』ではなく、『あの日についての語り』の分析こそが、これから重要になるだろう」。

当然だと思っていたことが違っていた、という驚きがこの本にはある。その一つ一つが、更に次の話に繋がっていく可能性を持つ、そんな印象を持った。現代史は、面白い。

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