前々から、個別のファイルを統合的に取り扱う方法を探していた。具体的にいえば、本を書くという場合、一章毎にファイルを作った方が取扱いが便利なのだが、終盤になってくると、いちいち個別のファイルを開いて追記修正するのが手間になってくる。そこで、時に一章毎、時に全文まとめて処理できるような方法はないかなと思っていた次第だった。
高機能エディタ等にはそういう機能があるようだが、ワードを使っているのでどうもやりにくい。ワードをやめてしまえばという素晴らしいアイデアもあるが、なかなか、他の人とのやりとりを考えるとそういうわけにもいかない。
というわけであれこれ検索みたのだが、
あるにはあった。それが「グループ文書」なる機能である。
Word2010:既存のWord文書をグループ文書に挿入するには
だいたいこれでいけそうだが、macの場合は押したいボタンが出てこない場合がある。
まずは、①「表示」→「グループ文書」でいいようだ。
②アウトライン画面に替わるので、適当に目次を作る
③作った目次を洗濯し、ツールバーとして表示されている(であろうと思われる)「サブ文章の挿入」をクリック。
④ファイルを選択
こんな感じで組み込める。
レイアウトが全体的にずれたりするので、後は適宜修正すればよい。
これ以降はまだ試していないが、個別ファイルを修正しても同期されるのだろう。
少しこれで様子を見よう。
2013年10月20日日曜日
2013年9月12日木曜日
永遠の吉本隆明
橋爪大三郎『永遠の吉本隆明 増補版』洋泉社新書、2012。
1970年前後に大学生だった人(団塊の世代と重なる)は、大抵が思想家・吉本隆明を知っている。当時、私も大学生であり、彼の本を何冊か読んだ。やがて学生運動が下火となり、時代も変わって、その影響力も低下していったようだ。しかし、彼はその後も社会にしばしば話題を投げかけて、注目される存在であり続けた。2012年に亡くなると、新聞が大きく一面を割いて、追悼記事を掲載していた。
この本の著者の橋爪大三郎も、やはり団塊の世代の1人であり、当時、吉本思想から大きな影響を受けたようだ。吉本の「共同幻想論」(1968、文庫版は1982)を読んだ感想を、橋爪は次のように言っている。「個人的な自意識とか人格性としてある状態-個人としてあるという状態-と、連続的な問題意識で、社会的な問題を社会科学の方法によって考えていっていいのだ、という感触を得た」。個人的なことと社会的なこととが、問題意識として連続しているという感触、それは、今となっては当たり前のことかもしれない。しかし当時としては、やはり画期的だったと私も思う。前衛の党が大衆を指導する、という話が、むしろ当たり前の時代であった。
著者は、吉本思想の影響や意味を、以下のように異なったレベルで捉えていると思う。
①<団塊の世代への影響>この世代の吉本読者にとって、吉本は、「無教会派の司祭」の役割を果たしたという。団塊の世代の、その後の人生を説明しているくだりは、面白かった。吉本の徹底した反権力思想のお陰で、彼らは万能の批判意識を手に入れると共に、一方で全くの無能力の状態に陥ったというのだ。
②<日本社会の課題の引き受け>この課題とは、日本社会で自由な主体であることの困難さを、どう乗り越えるか、というもの。言い換えると、これは非西欧圏の国々が近代化を進める時に起きる精神的な混乱と、それを回復しようとする努力であり、普遍的で地球大のものだ、と橋爪は指摘する。吉本は、その課題を誰よりも徹底して引き受けたのだ。
③<文学や社会・国家についての理論的・方法論的な業績>まず「言語にとって美とは何か」(1965、文庫板は2001)では、「品詞」を自己表出と指示表出の関係から分類し、そこから言語表現を考察して、古代から現代までの文学を見通すフレームをつくった。オリジナルでユニークで、奇跡のような不思議な書物、と橋爪は言う。「共同幻想論」では、民話などいわゆる集合的無意識を、社会科学理論の文脈で意味を明らかにする作業を行った。更に、そこから権力や国家の起源を解明しようとした。2冊とも、全く独自に遂行されながら、世界に通用する業績であると橋爪は高く評価している。
上の①~③のうち、②の<日本社会の課題の引き受け>が、最も「永遠の吉本隆明」というタイトルに関わってくるのだろう。吉本は、一貫して個人への徹底したこだわりと、普遍への飽くなき執念を抱き続けた。そのことから、彼は権力を徹底して否定する立場に立った。①は、結局そのことと関係する。橋爪自身は、権力の問題で、吉本の影響を脱するのに苦労したようだ。橋爪は、自由を肯定しつつ、むしろ自由という見地から国家の存在を肯定する。そこから、彼の独自の言語派社会学の構想が生まれたようだ。
吉本が格闘した②の課題を次の世代が引継ぎ、人間や社会に関する認識を更に深める必要性がある、と橋爪は主張する。彼にとって、吉本は自分なりに考える勇気とヒントを与えてくれた、と言う。又、吉本思想と社会学の共通性の指摘も、刺激的で面白かった。
2013年7月1日月曜日
我関わる、ゆえに我あり
松井孝典『我関わる、ゆえに我あり-地球システム論と文明』集英社新書、2012。
宇宙や地球の誕生、そしてその後の経過を扱う本は、多分何冊もあるだろう。一方、人類の誕生や、その後の歴史を扱う本は、いくらでもある。しかし、この本のように、宇宙や地球の話と、人類の誕生やその後の歴史を併せて、一貫して説明した本は、余りないのではないか。宇宙や地球の話は自然科学分野の領域であり、一方の人類の歴史は、人文・社会科学の領域だからだ。
著者は、地球や惑星を研究する自然科学者として、地球の起源や、大気、海あるいは生命の起源といったテーマを研究対象としてきた。本書の初めの部分には、研究の過程で地球はシステムだ、という発見をした経過が書かれている。このシステム的な考えが、自然科学から人文・社会科学に及ぶ一貫した考察を可能にしたのであろう。
著者によれば、地球システムの構成要素は、大気、海、大陸などの性質の異なる物質圏である。それらに加えて、生物圏が、大陸地殻の表層や海の全体に広がっている。システムを構成するこれらの要素は、相互に関係して相互作用をしている。その関係性は、駆動力により物質やエネルギーが流れることで生まれる。駆動力は大きく二つで、太陽からの放射エネルギーと地球の内部にある熱である。本書を読む場合、本当はこの辺りの説明を、しっかり根本的に理解する必要があると思った。
さて、この地球システムに、構成要素として人間圏を加えるのが本書のポイントである。この人間圏という概念を思いつくことで、文明を地球システムの構成要素として扱うことが出来たと著者はいう。文明を地球システムの一部として捉えると、農耕牧畜を開始したことや、産業革命により蒸気機関を動力として使うことの意味が、地球システム的に理解されることになる。およそ1万年前、現生人類は農耕牧畜の開始するが、その結果、それまでの生物圏の枠をはみ出して人間圏を作り出すことになった。その後およそ200年前の産業革命は、人間圏の内部に駆動力を持つことことを可能にした。そのために、人間圏は地球システムの枠をはみ出すに至った。
この辺りは、本書では地球システムの構成要素(大気圏、水圏、地圏、生物圏、人間圏)の包含関係の変化として図示されていて、とても分かりかった。産業革命により、人類が駆動力を人間圏の内側に持ったことは、地球システムの物質循環やエネルギー循環を、自分たちの意のままに変えられることを意味する。エネルギー問題も環境問題も、この視点から見ると、確かにまるで違って見えてくる。(太陽光発電など代替エネルギー利用も、エネルギー問題を根本的に解決するものではない、と著者は書いている。)
著者のこうした視点や考察を支えるのは、宇宙についての科学的知識の一方で、システム的な思考や、歴史についての知識や仮説である。それは更に、本書のタイトルである「我関わる、ゆえに我あり」に関わってくる。現生人類は、前頭葉の発達により、外部情報を基に内部モデルを作り上げる能力を持った。それが、抽象思考を可能にし、共同幻想を生み、人間圏を作ることが可能とした。その最先端が、科学という営みだ。科学の営みは、ビッグバンなど宇宙の起源、そして地球の起源まで明らかにした。宇宙にその認識の限界を押し広げる現生人類、つまり私たちとは一体何なのか、と著者は問うている。私たちの脳は、今や自らが立つ地球を俯瞰できる視点まで持ったということだろう。
2013年5月30日木曜日
デザイン思考の道具箱―イノベーションを生む会社のつくり方
奥出直人『デザイン思考の道具箱―イノベーションを生む会社のつくり方』早川書房、2007年。
名前は何となく知っていたが、本として読んだのは初めてだった。前段はあまり面白くなかったが、第4章あたりから非常に興味深い内容になった(6章以降はやはりトーンダウンを感じる)。第4・5章は、イノベーションを生むための具体的なプラクティスを提示していると思う。
師匠-弟子モデルを軸としたコンテクスチュアル・インクワイアリーといったやり方が面白い。調査相手を師匠だと思い、その師匠がなす事を徹底して真似して内面化していく。確かに、通常のマーケティング・リサーチにおいて、顧客のことを「師匠」だと思うことはほとんどない。顧客至上主義などといいながら、そもそも調査すらできていなかったわけである。
build to thinkのプロトタイピング思考もよくわかる。つくりながらでしか、考えることはできない。文章にしても、実際に書いてみないことには、何が書けるのかはわからない。これは、現実が思考実験の抽象度と決定的に異なる次元にあるからだろう。面積を持たない「点」は、しかし現実には面積や体積を持ってしか成立しない。
こうした手法は、本書で述べられているようにエスノメソドロジーやエスノグラフィーに重なるところがあるのだと思う。それゆえ個人的には、「この手法は哲学的には複雑な思考回路を要求するが、実践するとなると非常に簡単である(115頁)」というその間をもう少し詰めたい気もする。他のものも読んでみよう。
2013年5月25日土曜日
MacのWordのファイルがエラーで閉じられない。起動すると復活する。
人からもらったファイルを開いて修正したのだが、そこからwordの調子が悪くなってしまった。ウイルスというよりも、明らかにwordが壊れている感じ。
症状としては、ファイルを閉じようとするとエラーになり、エラーレポートを送信するかどうか聞いてくる。どうやってもエラーのままなので、ひとまずwordを強制修了させる。これでwordはひとまず閉じるのだけど、Lion以降、過去にちゃんと閉じなかったファイルは、次のword起動時にデフォルトで立ち上がる。で、仕方がないので閉じようとするのだが、同じエラーを繰り返すことになった。
他人の文章が毎回毎回立ち上がり、その度にエラーになるのは正直言って不愉快極まりない。どうやって消そうかと思案していたのだが、検索でかかったのはmicrosoftのページ。
Word for Mac のエラー:「Word 問題が発生したと閉じる必要があります」
機械翻訳されていて、よくわからない。やってみたのだが、Normal.dotmが壊れているわけではないみたい。回復せず。
次に見つけたのは、こちら。アプローチを変えて、最初の起動を止めてしまえばいいのではと思った次第。
Appleサポートコミュニティ:「以前のファイルが勝手に開く」
「$HOME/Library/Saved Application StateをCommand+Iで鍵をかければ再起動しても開かない」
あ!これこれ、と思ってライブラリの「saved application state」を開く。みてみると、…microsoft…というフォルダがいくつか作られている。・・・ロックをするのではなく、このフォルダ消してしまったらいいのでは、とふと思う。
・・・OK。解決しました。エラーを繰り返すファイルが立ち上がることはなくなった。
症状としては、ファイルを閉じようとするとエラーになり、エラーレポートを送信するかどうか聞いてくる。どうやってもエラーのままなので、ひとまずwordを強制修了させる。これでwordはひとまず閉じるのだけど、Lion以降、過去にちゃんと閉じなかったファイルは、次のword起動時にデフォルトで立ち上がる。で、仕方がないので閉じようとするのだが、同じエラーを繰り返すことになった。
他人の文章が毎回毎回立ち上がり、その度にエラーになるのは正直言って不愉快極まりない。どうやって消そうかと思案していたのだが、検索でかかったのはmicrosoftのページ。
Word for Mac のエラー:「Word 問題が発生したと閉じる必要があります」
機械翻訳されていて、よくわからない。やってみたのだが、Normal.dotmが壊れているわけではないみたい。回復せず。
次に見つけたのは、こちら。アプローチを変えて、最初の起動を止めてしまえばいいのではと思った次第。
Appleサポートコミュニティ:「以前のファイルが勝手に開く」
「$HOME/Library/Saved Application StateをCommand+Iで鍵をかければ再起動しても開かない」
あ!これこれ、と思ってライブラリの「saved application state」を開く。みてみると、…microsoft…というフォルダがいくつか作られている。・・・ロックをするのではなく、このフォルダ消してしまったらいいのでは、とふと思う。
・・・OK。解決しました。エラーを繰り返すファイルが立ち上がることはなくなった。
2013年4月30日火曜日
おどろきの中国
橋爪大三郎ほか『おどろきの中国 (講談社現代新書)』、2013。
この本は、3人の社会学者の対談である。3人のうち、橋爪が他の2人の質問に答える方式を採っている。これは、橋爪の前著「ふしぎなキリスト教」と同じである。これは、対談という形で読者への敷居を低くしながら、同時に本質的な問題に直接迫ろうとする、うまいやり方だと思う。内容は、四部構成であり、次のような内容になっている。
1 中国とはそもそも何か 2 近代中国と毛沢東の謎
3 日中の歴史問題をどうとらえるか 4 中国のいま日本のこれから
まず、1の「中国とはそもそも何か」は、冒頭から中国社会の核心に迫ろうとするものだ。回答は、歴史に関連する。二千二百年前、秦による中原の統一が行われた。では、なぜ中国はそんなに古くから、広域の統一性を実現できたのか。それは、EUのようなものだ、と橋爪は言う。統一に先立つ春秋戦国時代においては、何百年にも渡って戦争が常態化していた。「不幸な時代を踏まえて全体がひとつの政権に統一されるべきだ、という人びとの意思統一ができあがった。この意思一致が中国なのだと思う。」
統一の後、始皇帝は諸子百家の中の法家思想を採用するが、彼一代で秦は滅亡した。続く漢は、今度は儒家思想を採用。そしてその後の王朝は、儒教、道教、仏教などを取捨選択した。時々の統一政権は、それぞれ統治イデオロギーや政策オプションを選択できたのである。つまり、政治的統一が根本で、統治イデオロギーや政策オプションは選択の対象という順番になる。「ここに中国の本質がある」と橋爪は言う。
そこから、2の「近代中国と毛沢東」の問題が浮上する。かつて、どこよりも早く、広域の統一性を実現できた中国が、近代になって諸外国の侵略を受けても国民意識が出てこなかったのはなぜか、という問題だ。それは中国の近代化が容易に進まなかったのはなぜか、という問題にとつながる。
国民意識の出遅れについては、儒教がそもそも普遍的であり、民族を越えている点が大きい。一方、近代化とはヨーロッパ文明がその外側に影響を与えていくプロセス。すると、他の文明にとって近代化は容易に進まないのが普通だ、と橋爪は言う。中国、インド、イスラムには、根本教典のようなテキストがその文明の骨格を形成している。だから、ヨーロッパ文明を受容するには、とても時間が掛かる。日本の近代化がスムースに進んだのは、自分たちの考えや行動の規範となるテキストが存在しないから、と橋爪は指摘している。
3の日中問題、4の現状分析や日本のあり方などは、1と2の認識を踏まえて、非常に明快で奥行きの深いものになっている。そして、中国に関する理解が、そのまま日本や私たち自身に関する考察に結びついていることが、印象深い。
又、中国に関する考察が、社会学や世界史の常識を、改めて問い直すものとなるという問題も、繰り返し取り上げられて、理論的にも興味深いものだった。そこから、「おどろきの中国」というこの本のタイトルも出てくる。中国の核心に迫る重要な手掛かりが沢山提示されていて、まさに中国理解への格好の入門書といったところであろう。
私自身も、この本に触発されて、松岡正剛「白川静-漢字の世界観-」(平凡社新書)白川静「孔子伝」(中公文庫)を読んだり、マクニール「世界史」(中公文庫)を読んだり読書が広がりつつあるのは、実に有り難い事である。
2013年4月28日日曜日
天地を喰らう
ちゃらーん♪ちゃらーん♪ちゃらーん、ちゃっちゃっちゃーん♪
ということで、そういえば思い出した天地を喰らう。
三国志は好きだったが、ずいぶんと独特なゲームだったと思う。
たぶん2の中で、呂布が劉備を裏切って言う一言が秀逸。
「やっぱり、自分で天下を取ることにしたよ」
史実では、たぶんその前に呂布は死んでいる気がするから、まさに天地を喰らうらしいストーリー。結局呂布は負けてしまうわけだけど、どこかでそう言いたい気持ちはよくわかる。
呂布がどういう人だったのかは知るよしもないが、ゲームの世界から言えば、カレほど魅力的な人は相違ない。三国志最強といわれ、しかし同時に裏切りの人と呼ばれ、物語の前半で消えていく。いったい彼は、何であったと言えるのだろうか。そんなことをふと思った次第。
ということで、そういえば思い出した天地を喰らう。
三国志は好きだったが、ずいぶんと独特なゲームだったと思う。
たぶん2の中で、呂布が劉備を裏切って言う一言が秀逸。
「やっぱり、自分で天下を取ることにしたよ」
史実では、たぶんその前に呂布は死んでいる気がするから、まさに天地を喰らうらしいストーリー。結局呂布は負けてしまうわけだけど、どこかでそう言いたい気持ちはよくわかる。
呂布がどういう人だったのかは知るよしもないが、ゲームの世界から言えば、カレほど魅力的な人は相違ない。三国志最強といわれ、しかし同時に裏切りの人と呼ばれ、物語の前半で消えていく。いったい彼は、何であったと言えるのだろうか。そんなことをふと思った次第。
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