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2012年8月30日木曜日

生物と無生物のあいだ

生物と無生物のあいだ (講談社現代新書)
福岡伸一『生物と無生物のあいだ (講談社現代新書)』、2007

 生命とは何だろう、という疑問は、誰でも感じたことがあるだろう。その疑問に、この本はかなり深く答えてくれる。しかも、話がとても興味深く展開するので、難しいのだが、つい引き込まれてしまう。高校「生物」の副読本などに、最適ではないか。

 1944年に、高名な物理学者シュレーディンガーは、「生命とは何か」という本を刊行した。本の内容は、生命現象は神秘ではなく、物理と化学の言葉だけで説明しうる、と主張するものだった。

 DNAの二重螺旋モデルが「ネイチャー」に発表されたのは、1953年のことである。その論文を発表したワトソンとクリックは、いずれもシュレーディンガーの本から、インスピレーションを与えられた、と言っている。まさに、シュレーディンガーの主張が成就したことになる。しかし、シュレーディンガーは、原子がなぜこんなに小さいのか、という問いもたてていた。

 原子が小さいとは、言い換えると、われわれの身体が原子にくらべると余りに大きいということだ。これは、生命現象を縛る物理的な制約の問題に関係する。原子はランダムな熱運動(ブラウン運動など)をする。しかし、原子の数が厖大な場合、個々にはランダムでも平均的には統計学的な法則に従う。「生命現象に必要な秩序の精度を上げるため、生物はこんなに大きい必要があるのだ。」とシュレーディンガーは考えた。しかし、すべての物理プロセスは、最終的に熱力学的平衡状態、つまりエントロピー最大の状態に到る。生命が、エントロピーに抗して、長い間生き続けることが出来るのはなぜか。シュレーディンガーは、ここで別の原理の存在は予測したが、具体的に示すことは出来なかった。

 その問題に関連して、まったく新しい生命観を示したのは、実はシェーンハイマーだというのが著者の見立てである。1930年代後半のこと、シェーンハイマーは重窒素で標識されたアミノ酸を三日間ネズミに与えて、その行く末を調べた。尿に27.4%、糞に2.2%、残りは体内に留まった。与えた重窒素のうち、56.5%がタンパク質に取り込まれていた。そして、ネズミの体重は変わらなかった。つまり、ネズミを構成していた身体のタンパク質の半分は、たった三日の間に食事由来のアミノ酸によって置き換えられた、ということになる。更に、タンパク質だけでなく体脂肪も又、同様の置き換えが行われていることが確認された。これは、崩壊する構成成分を先回りして分解し、エントロピーが増大する前に常に再構築を行っているということを意味する。

 「エントロピー増大の法則に抗う唯一の方法は、システムの耐久性と構造を強化することではなく、むしろその仕組み自体を流れの中に置くことである。」と著者は書いている。私たちが食事するのは、活動のエネルギーを得るためだけではない。身体を、同じ状態に維持するには、外部から材料を取り込まねばならない。著者は、シェーンハイマーが明らかにした生命の姿を、「砂上の楼閣」に例えている。砂の城は同じ姿を保ってそこにあるのだが、それを構成する砂粒はすべて時々刻々と入れ替わっている。

 著者は、シェーンハイマーの発見を再評価することで、改めて生命を定義する。「生命とは動的平衡にある流れである」と。そして、絶え間なく壊される秩序が、どのようにその平衡状態を維持しうるのか、その過程を追求する分子生物学者たちのチャレンジを、丁寧に紹介している。生命の話はすべて自分に戻るから、余計に面白い。

シュレディンガーの哲学する猫 (中公文庫) エントロピーから読み解く 生物学: めぐりめぐむ わきあがる生命 アインシュタイン選集 1 特殊相対性理論・量子論・ブラウン運動