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2012年8月2日木曜日

日本の深層-縄文・蝦夷文化を探る

日本の深層 縄文・蝦夷文化を探る (集英社文庫)
梅原猛『日本の深層 縄文・蝦夷文化を探る (集英社文庫)』、1994

先日、2泊3日の東北旅行に行って来た。その際、この本を携行して、行きの電車の中でほぼ読んだ。旅の行き先は花巻と平泉。両方とも、書中ではかなり大きく扱われている。本のお陰もあって、いい旅行が出来たと思う。

著者の梅原猛は、実際に東北の各地を訪ねて考えたことを書いている。彼自身が、愛知県の出身ながら東北と縁が深い。自らの出自を確認しつつ、同時に東北や日本文化についてじっくりと考えたということだろう。本の内容を追うと、著者の訪問先は、まずは宮城県の多賀城、次いで岩手県の平泉、花巻、遠野など、更には津軽、出羽、会津、山形と訪ねて、新たな発見を重ねる。それぞれの場所における著者の発見や感動は、読む者に確かに伝わり、読み進めるとイメージが次第に膨らんでくる。

著者の基本的な考えは、日本は縄文文化から始まり、そこに弥生文化が加わってその後の日本が作られた、というものだ。その事態を明治時代の連想で、「和魂洋才」ならぬ「縄魂弥才」という言葉で表現している。稲作文化を伴う外来の弥生文化は、侵入後短期間で日本を征服したが、縄文文化は消えずに深層に残った、というのである。その深層を探るため、著者は東北に注目する。東北は、縄文後期から末期にかけて日本文化の中心だった。又、1000年前まで蝦夷と呼ばれる人々がいて、京の政権に対抗していた。蝦夷は縄文文化の末裔であり、又、蝦夷とアイヌは深い関係がある、と著者は考えている。

花巻は、宮沢賢治が活躍した場所である。賢治は岩手県をイーハトーブといい、花巻を羅須とよび、北上川の川岸をイギリス海岸とよんだ。「賢治の世界観は、どこか藤原清衡の世界観を思わせるところがある。」と著者は書いている。藤原清衡は、蝦夷の首長であった安倍氏の子孫だ。清衡は、中尊寺を中心に、平泉を世界の中心に位置付けた、と著者言う。その中尊寺は、金色堂で知られるが、このお堂は実は藤原一族を祀った葬堂である。中央と左右の壇には、藤原4代の遺骸がミイラになって安置されている。賢治の童話や、清衡の中尊寺は、いずれも仏教思想の他に縄文文化の思想が背景にある、というのが著者の見立てである。

私は、中尊寺の博物館で、ミイラが収められた棺の副葬品を見た。なるほど、アイヌなど、北方文化と深い関係があるだろうと感じた。そして、帰途、新花巻駅前の「山猫亭」という店で、賢治の童話「注文の多い料理店」を購入した。著者が「日本人という民族の根底にある隠された心の深層を語っている」と評する賢治の「なめとこ山の熊」の話を、帰りの電車の中で改めて読んだ。花巻や平泉の光景に触れた後だからか、すんなり理解出来るような気がした。「なめとこ山」と呼ばれる山も、どうやら宿泊した豊沢川沿いのホテルから、更に上流の山中に位置するようだと分かって面白かった。

梅原猛の授業 仏教 (朝日文庫)葬られた王朝―古代出雲の謎を解く蝦夷の古代史 (平凡社新書 (071))