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2012年6月21日木曜日

中国化する日本

中国化する日本 日中「文明の衝突」一千年史
 與那覇潤『中国化する日本 日中「文明の衝突」一千年史』文芸春秋、2011

これまで当たり前だと思われてきた歴史観がずいぶんと覆されつつある。こうした傾向は以前からあったともいえるが、近年、特にその傾向が著しいようにみえる。本書は、こうした新しい歴史観、著者によれば、歴史研究者の間ではすでに通説となりつつあるという視点に基づき、日本の歴史を問い直している。その試みは大変興味深く、また面白い。今後日本が何をなすべきかという点についても、新しい視座を提供している。

  本書によれば、西洋中心の歴史史観はすでに崩れており、今日では、最も先に近代化を果たしたのは中国、それも宋代の出来事であったと考えられている。科挙の徹底による貴族階級の相対化と専制君主制度の確立、同時に、一般庶民についても職能に縛り付けられた身分制を取りやめ、自由な商業を奨励したというわけである。さらに、こうした思想を中華思想という普遍的なものとして取り扱うことで、他国や異民族を分け隔てなく取り込むグローバリズムを完成させた(だからこそ、元も清も成立できた)。ヨーロッパやアメリカの歴史は、こうした中国の近代化を遅れて実現しつつあるのであり、日本もまた同様である。

  だが一方で、中国の近代化の対局に位置づけられるのが、日本でもある。日本では、唐代までは中国に学んだが、宋代の革新については学ぶことができなかった。平清盛や後醍醐天皇といった例外的な支持者はいたものの、いずれも土地所有に結びつく安定的な貴族制度と身分制度の前に敗れ去ったという。そして、日本では究極的な仕組みとして江戸時代が訪れる。イエやムラに縛り付けられながらも同時に守られた社会制度は、米の収穫量増大にも支えられて未曾有の成功を果たす。その成功体験を引きずったまま、その後明治維新や戦後を経てもなお、日本は依然として江戸時代の仕組みを維持し、場合によっては中国の近代化を部分的に取り入れようとして中途半端になり、より混乱の状況を増してきたのだとみる。

  こうした展開は、日本がいわゆるアメリカ型のグローバリズムに取り残され、ガラパゴス化しているとみる主張にほぼ同じであるようにみえる。だが一つに異なるのは、こうした傾向は、アメリカではなく、中国との関係においてこそみる事ができるという点であろうか。このことは、中国と日本の関係を捉え直し、中国を資本主義の後進国と見なすのではなく、むしろ近代化の先進国であり、特にグローバリズムの旗手であったことを再発見させることにより、今日の問題の多くが、歴史的にすでに起こっており、また当然起こるものと想定されてきた出来事であったことを提示する。そして、我々がその歴史を学ぶことの重要性を喚起させることになる。

翻訳の政治学 近代東アジアの形成と日琉関係の変容 帝国の残影 ―兵士・小津安二郎の昭和史 30ポイントで理解する世界史の新しい読み方―脱「ヨーロッパ中心史観」で考えよう (PHP文庫)