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2012年6月27日水曜日

われらゲームの世代6

中古の信長の野望
三国志の記憶

最初に僕が光栄のこの手のゲームソフトで遊んだのは、近くの友人の家で、三国志をやったときだったと思う(もしかしたら、別の友人の家だったかもしれない)。彼等にはいずれもお兄さんがいたから、たぶん、お兄さんが遊んでいたゲームを見て、彼等が遊び始めたのだろう。

三国志や信長の野望は、僕が当時知っていたいかなるゲームとも異なったタイプのゲームソフトだった。多分、小学生中学年の頃にそれに出会ったと思う。それまでのゲームというと、アクションゲームやシューティングゲームがほとんどだった。マリオブラザーズのようなゲームは、それはそれでもちろん面白いゲームだったが、今となってみると、僕はこの手のゲームがそんなに好きではない。それから、当時はすでにドラゴンクエストとファイナルファンタジーが大人気だった。こちらの話にそれると別途話は長くなりそうだから、ちょっと置いておこう。いずれにせよ、ドラクエやFFとも違い、三国志や信長の野望は、シミュレーションゲームと呼ばれる僕にとっては未知のタイプの、しかしおそらく、僕の好みにあったゲームだった。

当時は、三国志という物語も知らなければ、織田信長もせいぜい授業で名前がでてきた程度だ。そういえば先に紹介した『中国化する日本』では、織田信長を含む戦国時代の英雄がいかにたいしたことがなかったかについても書いてあって面白い。農民代表で土地争いをしていただけというわけである。楽市楽座?、元だったらすでに世界で実現しようとしていましたけど何か、と。(なお、この本では、信長の本質は本願寺との抗争にあったとみる。しかも、このさい、本願寺は古くさい過去の象徴ではなく、むしろ、グローバル化の可能性であった。逆に、信長こそが過去の遺物であり、我々が知る歴史観は、基本的に逆転しているという。大変興味深い)。僕たちが好きな戦国時代は、多分ゲームで培われた戦国時代なのだろう。

ちょっと話がそれたが、さて、三国志の説明書には、赤壁の戦いが云々と書かれていたのを覚えている。それがなんだか良くわからなかったが、友達は劉備で遊び始め、僕には曹操を薦めた。大体こういう場合、ゲームの主がメインキャラクター(マリオのように)をとり、遊びにいった友達はサブキャラクター(ルイージのように)をとるのが普通だったから、僕の中では、劉備がメインで、曹操がサブなのだろうという漠然とした印象を持った。

確かに三国志は、多くの場合劉備を中心に描かれる。だが一方で、魏の曹操の方が、人物や歴史的な結果としていえば主人公的でもある。陳寿による(三国志)正史は、人物伝ではあるが魏と曹操を軸にしていると聞いたような気もする(こちらはそう云えば読んだことがない。)やはりこのあたりはwikiに詳しい。当初蜀に仕え、その後晋に仕えたとある。晋の人間が魏を正統な王朝として捉えるのは当然だといえる。

なんにせよ、仁の人といわれるととたんにうさんくさく、僕はあまり劉備が好きではなかった。むしろ、治世の能臣、乱世の姦雄と呼ばれた曹操の方が好みにあった。今思うと、こういう感覚は、あの日、あの時、曹操でゲームをしたからかもしれない。あの時、もし友達が曹操のことが好きで、むしろ劉備でゲームしたらといっていたら、僕は劉備のことが好きで、むしろダークな感じの曹操を嫌うようになったのかもしれない。もし友達がもう少し三国志のゲームの仕組みを知っていて、曹操の方が人材が豊富だし、国力も豊かだということを知っていたら、僕のその後の選択は変わっていたかもしれない。

そういうわけで、三国志はその後図書館に行って全館借りて読んだし(誰が書いたものかは覚えていないが、演義も読んだ)、友人のうちに置いてあった横山光輝の漫画三国志も全部読んだ。顔がみんな同じなのには驚いたが、面白い漫画だった。

中学校の2年生か3年生の頃、横山光輝の『水滸伝』も読むことができた。当時は、教室毎にみんながもちよって図書の貸し出しをできるようにするという仕組みがあった。普通は小説や歴史本で、アルセーヌ・ルパンの推理小説とか、日本の歴史といった本が置かれていたのだが、あるクラスにはなぜかある程度教養に関わりそうな漫画本がおかれていたのだった。水滸伝はその中にあった。どうやって読んだのか覚えていないし、全巻読んだ記憶もないけれど、多分誰かに借りてもらって読んだのだと思う。


三国志 (1) (吉川英治歴史時代文庫 33)三国志演義〈1〉 (徳間文庫)横山光輝三国志大百科 永久保存版