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2012年9月10日月曜日

安心社会から信頼社会へ

安心社会から信頼社会へ―日本型システムの行方 (中公新書)
山岸俊男『安心社会から信頼社会へ-日本型システムの行方』中公新書、1999

 この本が出版されて、もう10年以上が経った。出版早々に読んで、大変面白いと思った。この本は、「安心」と「信頼」を区別することに基礎を置いている。そして、これまでの日本社会が「安心社会」だったこと、しかし安心のためのコストが余りに上昇、維持できなくなって、今後は「信頼社会」に向かう、との予測が示された。

 まとめると、こんな風だ。
①「信頼」とは、社会的不確実性が存在しているにもかかわらず、相手の人間性のゆえに、相手が自分に対してひどい行動はとらないだろうと考えること。
②「安心」とは、そもそも、こうした社会的不確実性が存在していないと感じること。
③日本社会を特徴付けていた集団主義的な社会関係のもとでは、安定した集団や関係の内部で社会的不確実性を小さくすることにより、お互いに「安心」できる場所が提供されていた。言い換えれば、集団や関係の安定性がその内部での勝手な行動をコントロールする作用をもっていた。
④現代の日本社会の根本的な変化の一つは、集団主義的な社会関係の維持が、必要コストの上昇によって高くつきすぎるようになった。
⑤日本の集団主義は終焉を迎え、「安心」は崩壊。今後は、集団の絆から飛び出した個人の間で、いかにして「信頼」を作り出すかが問題。

 著者は、社会心理学者である。この本における主張や予測は、社会的不確実性に直面した人々が、どう行動するかに関する多くの実験を基礎としている。その実験自体がとても面白いし、結果もそれぞれ興味深い。(社会的ジレンマに関する実験)

 ところで、10年前、私は安心社会から信頼社会へ、というこの本の予測にとてもリアリティを感じていた。しかし、その後21世紀になってマスコミなどで繰り返し耳にしたのは、安全・安心の連呼だった、という印象がある。今思うに、著者の言うように、安心が困難となり、そうした変化への危機感が、安全・安心の連呼となったか、とも思える。しかし、安全・安心なはずの原発や年金などが想定外の危機に見舞われて、それでも安全・安心をうたうことは今や却って不安や不信を招きかねない状況だ。

 経済発展や民主的な政治制度の効率のためには、家族や狭い仲間うちを超えた他者一般に対する信頼が必要だ、とする著者の見解には、全く同意する。又、人間性検知能力と関係性検知能力が、別の社会的知性だとする見解も面白い。他者一般への信頼が高い人は、人間性検知能力が高い。一方で、他者一般への信頼が低い人は、誰と誰が親密か、といった関係性検知能力に優れる。後者が、安心社会に適応した能力。これからは前者が大切、ということになろう。


信頼の構造―こころと社会の進化ゲームつながる―信頼でつくる地域コミュニティ安全。でも、安心できない…―信頼をめぐる心理学 (ちくま新書)