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2013年4月30日火曜日

おどろきの中国

おどろきの中国 (講談社現代新書)
橋爪大三郎ほか『おどろきの中国 (講談社現代新書)』、2013

 この本は、3人の社会学者の対談である。3人のうち、橋爪が他の2人の質問に答える方式を採っている。これは、橋爪の前著「ふしぎなキリスト教」と同じである。これは、対談という形で読者への敷居を低くしながら、同時に本質的な問題に直接迫ろうとする、うまいやり方だと思う。内容は、四部構成であり、次のような内容になっている。

1 中国とはそもそも何か       2 近代中国と毛沢東の謎
3 日中の歴史問題をどうとらえるか  4 中国のいま日本のこれから

 まず、1の「中国とはそもそも何か」は、冒頭から中国社会の核心に迫ろうとするものだ。回答は、歴史に関連する。二千二百年前、秦による中原の統一が行われた。では、なぜ中国はそんなに古くから、広域の統一性を実現できたのか。それは、EUのようなものだ、と橋爪は言う。統一に先立つ春秋戦国時代においては、何百年にも渡って戦争が常態化していた。「不幸な時代を踏まえて全体がひとつの政権に統一されるべきだ、という人びとの意思統一ができあがった。この意思一致が中国なのだと思う。」

 統一の後、始皇帝は諸子百家の中の法家思想を採用するが、彼一代で秦は滅亡した。続く漢は、今度は儒家思想を採用。そしてその後の王朝は、儒教、道教、仏教などを取捨選択した。時々の統一政権は、それぞれ統治イデオロギーや政策オプションを選択できたのである。つまり、政治的統一が根本で、統治イデオロギーや政策オプションは選択の対象という順番になる。「ここに中国の本質がある」と橋爪は言う。

 そこから、2の「近代中国と毛沢東」の問題が浮上する。かつて、どこよりも早く、広域の統一性を実現できた中国が、近代になって諸外国の侵略を受けても国民意識が出てこなかったのはなぜか、という問題だ。それは中国の近代化が容易に進まなかったのはなぜか、という問題にとつながる。

 国民意識の出遅れについては、儒教がそもそも普遍的であり、民族を越えている点が大きい。一方、近代化とはヨーロッパ文明がその外側に影響を与えていくプロセス。すると、他の文明にとって近代化は容易に進まないのが普通だ、と橋爪は言う。中国、インド、イスラムには、根本教典のようなテキストがその文明の骨格を形成している。だから、ヨーロッパ文明を受容するには、とても時間が掛かる。日本の近代化がスムースに進んだのは、自分たちの考えや行動の規範となるテキストが存在しないから、と橋爪は指摘している。

 3の日中問題、4の現状分析や日本のあり方などは、1と2の認識を踏まえて、非常に明快で奥行きの深いものになっている。そして、中国に関する理解が、そのまま日本や私たち自身に関する考察に結びついていることが、印象深い。

 又、中国に関する考察が、社会学や世界史の常識を、改めて問い直すものとなるという問題も、繰り返し取り上げられて、理論的にも興味深いものだった。そこから、「おどろきの中国」というこの本のタイトルも出てくる。中国の核心に迫る重要な手掛かりが沢山提示されていて、まさに中国理解への格好の入門書といったところであろう。

 私自身も、この本に触発されて、松岡正剛「白川静-漢字の世界観-」(平凡社新書)白川静「孔子伝」(中公文庫)を読んだり、マクニール「世界史」(中公文庫)を読んだり読書が広がりつつあるのは、実に有り難い事である。

白川静 漢字の世界観 (平凡社新書) 孔子伝 (1972年) (中公叢書) 世界史 上 (中公文庫 マ 10-3)