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2012年7月27日金曜日

われらゲームの世代27

新しいジャンル

さて、僕はこれまでドラゴンクエストというゲームを知らなかったし、ロールプレイングゲームという存在も知らなかった。僕がその頃まで遊んでいたのは、マリオやエキサイトバイクである。アクションゲームが中心であり、そう云えばいつだったか、さんまの名探偵のようなゲームをすることはあったが例外的だ(これも難しくてよくわからないゲームだった。探偵ものと言えば、後になってポートピア連続殺人事件をやった。「犯人はヤス」と選択してみたかったのだ)。

ドラゴンクエストを、長らく、僕では買わなかった。誰かから借りてやったような気がする。前田君に借りたような記憶があるから、小学生高学年になってからだ。どうして買わなかったのか、今思い出してみると、そのゲームのタイトルをよくわかっていなかったような気がする。買おうとしても、どれがそのゲームなのかわからなかったというわけである。いつゲームをしたのかも、正直にいえば、はっきりとは覚えていない。ドラゴンクエスト2や3をやった後だったかもしれない。

ドラゴンクエストは難しかった。たぶん、僕にはクリアできなかっただろう。このとき、はじめて攻略本とよばれるものを買った記憶がある。攻略本はいつから一般化したのかわからないが、徐々にゲームをするにあたって欠かせない存在となっていたのは確かだ。僕はマリオブラザーズのやり方も知らなかったし、それからスーパーマリオブラザーズにしても単調な方法しか知らず、そのうち母親が学校の教え子から聞いたとして、ワープルートの存在を教えてくれた。

攻略本は、ゲームの進行方法はもちろん、様々な補足情報が描かれている。ドラゴンクエストであれば、ユウテイ、ミヤオウ、キムコウという3人のキャラクターも登場し、独自の世界観を作り出していた(なんとなつかしい響きだ)。

攻略本のみならず、ゲーム雑誌が一般化していったのもこの頃だったのは先にもみたとおりだ。水滸伝を僕が発売日に買えたのも、ゲーム雑誌で事前に発売情報を知っていたからだ。こうした攻略本やゲーム雑誌の登場は、僕たちのゲーム生活を大きく変えただろう。何よりも、ゲームの中身ややり方が説明書とは別に詳しく提示されることになる。独自のルールを作ることはおそらく減り、ゲームのやり方が共通化していく契機になっていたかもしれない。

ちょうど新聞記事を検索していて、1988年4月5日の日本経済新聞が興味深かった。エニックスが、ドラゴンクエスト3の謎解きを勝手に掲載しようとした出版社を提訴したという。サンプリングをしていたのは確かだが、ゲームの肝になる謎解きをなんでもかんでものせられてしまっては困るという訳だ。

ドラゴンクエストについていえば、その後こうした攻略本はもとより、様々な関連グッズも生み出されていった。こちらはきっと版権管理もしっかりとされるようになったのだろう。スライムの人形やキーホルダーは言うに及ばず、鉛筆やノートなどもあったと思う。いずれも結構な値段がするものばかりだったが、今もそのうちいくつかは手元に残っている。ドラゴンクエストの3までのノートがあり、2は方眼紙だった。これにダンジョンマップを書こうと思って断念した記憶がある。だいたい、ドラクエ程度であればマップは書かなくても良い。マップが欲しいのはウィザードリィだ。

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