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2012年7月24日火曜日

われらゲームの世代24

新聞記事検索からみえてくること

ざっくりと新聞記事を並べてみたわけだが、20年強の内容をみていて思うのは、最初はソフトがとても売れているという社会現象の記事、次にくるのはソフトの開発状況や株価の記事、業界の市況、それから最近になると、携帯電話などの新しい競合の話がでてくる。これをみることで、ゲームの変遷を眺められる気もしてきた。もちろん他にも様々なストーリーが描かれていて興味深い。

ファミコンを最初に牽引したRPGがドラゴンクエストだったとすれば、その後を引き継ぎ、2大RPGの地位を確立し、個人的には、やがてドラクエを抜いたのがFFだったといえる。新聞記事の推移はおおよそこのイメージに対応している。特に興味深いのは、FFの記述は1990年のFF3になるまでは出てこないということである。

もちろん、これはFF3になるまでFFが売れなかったということではあるまい。すでにFF3が出る頃には、FFの評価は確立していたはずだ。けれども、日本経済新聞に載るという点において、FFの現象はたくさんあるテレビゲームの一つ、当たり前の現象になりすぎていたのである。新しいヒット作が生まれているという程度では、当然、新聞記事にはならない。

逆に言えば、ドラゴンクエストが当初から記事になっていたのは、ゲームの世界が社会的に新しく、またそのゲームをならんでまで買うということ自体が驚きであり新鮮だったからに他ならない。その驚きは反発を生み出すきっかけでもあり、その際には、きっとドラゴンクエストに対する反発や意見として提示されていったのだろうと考えられる。

その一方で、絶対数という点からみると、1997年のFF7がピークである。この頃の絶対数からすると、ドラクエよりもFFの方が記事数が総じて多い。また後で述べることになるだろうけれど、この時期はゲーム産業にとって、いくつかの点で決定的なときだっただろう。ドラゴンクエストは、6が1995年に発売された後、リメイクなどはあったものの、7がでるまでに5年かかった。対して、FFは1994年に6が発売され、1997年に7が発売され、1998年からは毎年新タイトルが発売されるという仕組みが整えられる。

細かい話では、スクウェアがFFの連続発売の仕組みを整えていったことはまず注目に値する。たしか、2つの開発チームをFFにあて、交互に製品化していくという仕組みを採用したはずだ。このころまでにはゲームソフトの開発は大規模化していたけれど、その象徴的な成果がこのころからみえはじめた。

それ以上に目に見えて感じられていたのは、この時期こそ、僕たちがFFが勝った(と言い方も変な話だが)と感じた時期だった。もう僕は大学生にもなっていたから、それほどゲームゲームしていた訳ではないけれど、この時期はとても印象深い。一つの時代が終わり、次の時代の幕開けを感じたころだった。

そして今から思い起こせば、この時期こそ、ソフトだけではなく、ハードが転換期を迎えた時期だった。次世代機競争とよばれた任天堂、ソニー、セガの競争の中、ソニーのプレイステーションが急成長し、ゲーム産業の競争構造が変わっていった。FF7が最高の記事件数となったのは、FF7がプレイステーションで発売され、任天堂に対してソニーの勝利を告げ、同時に、ドラクエとの勝負にも勝った(と僕たちには感じられた)、その時だったわけだ。


ドラゴンクエスト25周年記念 950ピースジグソーパズル