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2012年7月17日火曜日

われらゲームの世代19

エキサイトバイク

少し話が前後してしまったが、競争とルールを意識させたものといえば、エキサイトバイクを覚えている。このゲームはF-1に近いゲームだが、その仕組みはずいぶんと異なっていたように思う。対戦ができたかどうかは覚えていない。けれども、コンピュータが対戦相手として登場し、バイクという設定上、ぶつかると倒れてしまう。当然、倒れると起き上がるまでに時間がかかり、その間にコンピュータのバイクにどんどんと抜かれてしまう。そこで、うまく倒されないように、それから相手をうまく倒しながら、先に進む必要があった。

バイクが倒れると、ライダーがあくせくとバイクを立て直そうとする。それがとても臨場感を作り出していた。後少しというところで、後ろからまたコンピュータが動かすバイクにぶつけられていらいらしてしまう。いつのまにかAボタンを連打している。それが意味があったのかなかったのかわからないけれど、ずいぶんとみんな熱くなってゲームしていた。

エキサイトバイクというゲームにはもう一つ特徴があった。それは、自分でレースのコースを作れるという機能の存在だった。自分で山を作ったり、棒をおいたりしてレースをアレンジできる。そのアレンジしたコース上の中で、コンピュータたちと勝負するのである。一人だけで走ることもできたと思う。

レースのコースを作れるという仕様は、自分でゲームを作ることができるという点で画期的だった。マリオにしても、確かにそのゲームをどのように遊ぶのかは僕たちの自由にゆだねられていたが、エキサイトバイクはもっとゲームそのものを加工できた。もちろんそれは、作り手が認めた範囲であることは言うまでもないが、それでも僕には十分に面白かった。もしかすると、ゲームを作ってみたいという欲求はこのあたりから生まれているのかもしれない。

ゲームを作ることは、当然、ゲームに対して超越的な立場に立つことを意味する。先の没入と超越という話で言えば、創作は超越であろう。コースを造り、自分たちをお客とよび、楽しむ。そんな世界が急に出来上がっていった。

この頃のゲームは、当然ながらそれほど大した機能は持っていない。F-1もゴルフも、それから当時は何の興味もなく、もう少し大きくなってから誰かからもらったベースボールや麻雀も、今のゲームとは及ぶべくもない。それでも当時は面白かった。

それが新しかったということもあるだろうし、そのような形でゲームにできるということが画期的だったのかもしれない。特に、F-1やエキサイトバイクをゲームにするというのはすごいことだったのではないかと思う。多くの人にとっては、およそ体験のしようのない別世界のものだったはずだからである。

今であればシミュレーションの名の下に、何でも疑似体験ができる。けれども、当時はそうではない。それを見て熱狂するしか方法のなかった人々が、それをゲーム上とはいえ自分でもできることになったとき、それをどのように見たのか、僕は小さすぎて考えたこともなかったけれど、大きなことだったような気がする。

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