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2012年5月16日水曜日

夢よりも深い覚醒へ


大澤真幸『夢よりも深い覚醒へ――3・11後の哲学 (岩波新書)』、2012

震災の傷が癒えたとはとても言えないが、1年が経ち、震災に関わる様々な論考を目にすることができるようになってきた。本書は、震災を手がかりにした哲学書であるとともに、実際の震災問題として脱原発を目指すという二重の論考である。

本書が指摘するように、原子力をめぐる言説は、おそらく世界的にみても、この50年間で大きく変容してきた。その中にあって、我が国では、原爆という経験がトラウマのように機能し、原子力を手のうちに収めようという反動が強く機能してきたとされる。核の平和利用として原発がたくさん作られてきた背景には、経済的理由はもちろんだが、こうした社会心理的な影響がある。

今回の震災によって気づかされたのは、我々が戦後の発展において大きな問題を抱えてしまっていたという事実であり、同時にそれは、地震と原発問題という2段階の問題が立て続けに生じることによって、本書に従えば、夢(これは夢のようだ、と思っていられる)よりも深い覚醒(その夢にこそ驚き、現実に引き戻される)の契機として提起された。この覚醒の感覚を忘れてしまう前に、行動を起こさねばならないというわけである。

全体のトーンとしては、『不可能性の時代』の中で指摘されてきた理想の時代、虚構の時代、不可能の時代が再確認され、原子力がその象徴的な対象として説明される。おそらく、対象は原子力でなくてもいい。オウム真理教であっても、9.11であっても議論可能だろう。これらの論理構成自体が、偶有的であることは確認しておいた方がいいかもしれない。

個別に、いかにして現実を変えていくのかという点について、正義論からはじまる未来をいかにして現在に取り込むのかという考察が興味深い。逸話としてはノアの箱船がわかりやすい。人は、将来の見えないリスクを過小評価する。明日大洪水がおこると言われても、そう簡単に信じることは出来ない。このとき、説得の方法として、明日起った大洪水を、今に再現してみせることが大事だという。同時に、後半の江夏の21球で例示されるように、その問題について、真剣に考え抜く覚悟が必要であろうともされる。

未来を現在に実現させることは、変えられる過去を作り出す。対して、現在を起点にして、確率的に未来を予測することは、常に予想外を呼び込むことになり、どこかでこれ以上は考えないでおこうという決断を伴ってしまう。そうではなく、未来を今覚悟として確定させ、その上で現在とのずれを確認し、すりあわせるという方法が提示されているように感じる。

※この試みは、どこかで決め打ち的、本書で言えば、宿命論の様相を帯びている。未来のありうべき姿をどのようにして決めるのか、という点については議論がありそうである(ここに、結局は予測が入り込む)。また、一般論として、行政や企業は、5年計画などの長期計画を策定する際、未来の形を決め打ちしているようにも見える。この手の話とどう違うのか、読み直す必要がある。