2012年5月10日木曜日
コミュニケーションは、要らない
押井守『コミュニケーションは、要らない』、幻冬舎新書、2012年。
ずいぶんとセンセーショナルなタイトルであり、興味をそそる。コミュニケーションが大事だと言えば誰も文句は言わないだろうが、あえてそこに対抗した論理を見出そうとしているのだろう。
内容を見ればすぐにわかるように、
この本は、震災時のコミュニケーションの活性化(あるいは氾濫)、
さらにはその後の原発問題をめぐるコミュニケーションの混乱に対応して書かれている。
未曾有の状況に直面し、
自らも今こそ何かを言わねばならないという思いに駆られたのであろう。
そのせいか、議論は個人的な主義主張が多く、
読み手に対する説得のプロセスがほとんどない。
タイトルの通り、コミュニケーションを必要としていないということなのかもしれない。
だが、本当にそうであれば書籍にする必要もないのであり、
書籍化されたという以上、
何らかのコミュニケーションへの意図が働いていたとみるしかない。
次のコミュニケーションを誘発しているのかもしれない。
別の見方としては、
まさに映像を追求してきた著者の表現に対する固有の方法論を考慮することもできる。
映画やアニメ、更にはその土台となる物語は、
論理を必要とする文章とは異なった表現形態をとる。
主張の根拠や正当性が求められるというよりは、
むしろそうした議論は深層に隠され、その表現にこそ焦点が当てられる。
この書籍だけで何かを判断することはできない。
映像と結びつけることが一つの方向性であろう。
その上で、コミュニケーションのあり方を問い直すことが有用であるということかもしれない。