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2013年10月31日木曜日

社会を変えるには


小熊英二『社会を変えるには (講談社現代新書)』、2012

 「社会を変える」というテーマは、ここ30年以上、余り聞かなかった。だから、この本を書店で見掛けて、おや、と思った。

 取り上げられた話は、いくつかに分かれる。章立てに合わせてまとめると、こんな具合だ。現在の日本社会の位置(第1章)。先進国の社会運動の変遷(第2章)。戦後日本の社会運動の歴史(第3章)。代表を選ぶとはどういうことか(第4章)。近代の自由主義・民主主義の歴史とその限界(第5章)。異なるあり方への模索として現象学・構築主義・再帰性・カテゴリーの限界など(第6章)。現代日本で社会を変えるとは(第7章)。

 内容を羅列すると、複雑な話だと思われるかもしれない。しかし、この本の論旨は明快であり、主張もある意味で単純なものだ。まず、現代の誰しもが共有している問題意識は、次のようなものだと著者は言う。「誰もが『自由』になってきた」「誰もが自分の言うことを聞いてくれなくなってきた」「自分はないがしろにされている」。そんな状態を変えることが、実は誰にとっても「社会を変える」ことではないか、と著者は言うのである。

 話を人が聞いてくれないとか、ないがしろにされているなど無縁だという人もいるだろう。しかし、著者は、この思いは今や、首相も高級官僚も非正規労働者も共有する感覚だろうと言う。普通は、「社会を変える」ことは、政治運動をして権力を握り思いのままに政治を行えば可能だ、ということになろうか。しかし著者は、現代社会では中央制御室にあたるものがないので、首相だけ替えても変わらないと言う。更に、おとなしくしていれば何とかしてもらえる、という考え方はやめようと提言する。

 これらの主張は、当然のことながら、社会の現状認識を背景にしている。1970年代から、先進国はいずれも、工業化社会からポスト工業化社会に移行して行った。日本はその時期、先進国で衰退した製造業を肩代わりする新興国であった。社会全体に、規制と保護と補助金の網の目を巡らし、社会的にも政治的も安定状態が続いた。しかし1990年代に入ると、日本型工業化社会は機能不全となる。バブル崩壊後は、経済指標が低迷し、システム全体にガタが来た。そこで初めて、ポスト工業化社会に向けての模索が始まる。

 ポスト工業化社会の特色は、他でも今や多くのことが語られている。そのうち、この本で特に重視されているのは、イギリスの社会学者ギデンズの言う「再帰的近代化」という現象だ。これは、人びとが集団の規制から自由になり選択が増大するが、皆が自由になるので相手からも選択されることになり、互いに予測が立たなくなることなどを指す。その結果、村とか、労働者階級とか、失業者とか、高齢者といったカテゴリーが、ひとくくりの集団として成り立たなくなる。カテゴリーを増やしても、多様性に追いつけなくなる。

 再帰性には再帰性で対処しなければ、というのがこの本の骨子だと思う。それは、具体的には互いの対話を促進すること、政治も又公開と対話がコンセプトとなる。肝心なのは、対話を通じてお互いが変化し、新しい「われわれ」を作っていく、という点だ。そのためには、過去の成功体験を持ちこまず、個体論的な発想でなく関係論的な発想で、統一とか組織などを重視せずに、色んな人と話していくことが大切だと言う。結論は、「自分はないがしろにされている」という感覚を足がかりに、動きをおこしましょうというものだ。そして、他人と共に社会を作ることは、楽しいことだと結んでいる。

 歴史的な知識や、社会運動の理論や方法論まで、教えられることが多い本だった。


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