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2013年2月17日日曜日

知の巨人ドラッカー自伝

知の巨人 ドラッカー自伝 (日経ビジネス人文庫)
ピーター F. ドラッカー『ドラッカー「知の巨人ドラッカー自伝』(日経ビジネス人文庫)、2009

ドラッカーは、日本でもよく知られ、著書もよく読まれている経営学者である。ドラッカー自身は、この本の中で、「私は大学教授とかコンサルタントとか呼ばれ、時にマネジメントの発明者とも言われるが・・基本は文筆家だと思っている」と書いている。

 この本は、2005年2月に日本経済新聞の紙面上に連載されたドラッカーの「私の履歴書」が基になっている。訳者まえがきによれば、新聞連載が大きな反響を呼んだので、本にすることになったようだ。訳者がドラッカーへのインタビューを行っていたので、27本の連載記事のそれぞれについて、インタビューを基にした解説を付けて本にした。これが、2005年8月に出版された「ドラッカー 20世紀を生きて」である。ところが、その直後の2005年11月に、ドラッカーは95歳の生涯を閉じた。2009年の文庫化にあたり、改題して「知の巨人ドラッカー自伝」となった。

 内容は、ウィーンでの子供時代から始まり、晩年の生活までが、それぞれの時期のエピソードと共に語られている。特に、フランクフルトなどでの若い頃の生活、その後、ナチスの危険を感じてロンドンに移った部分は、急転回する時代の空気を強く感じさせる。例えば1929年、フランクフルトで証券アナリストになったドラッカーは、経済雑誌の9月号に論文を二本書いた。その一本には、ニューヨーク株式市場の急騰について、さらに上昇と断じた。数週間後に、ニューヨーク株式市場は大暴落、これを発端に世界は大恐慌に突入する。ドラッカーは、以後、相場の予想はいっさいやらないことにしたそうだ。その後、やはりフランクフルトで新聞社に記者として勤務する。そこでは、台頭するナチスの取材のために、ヒトラーやゲッペルスに何度もインタビューしたそうだ。ナチスが政権を取ると、危険を感じてドイツを脱出する。ドイツ脱出前に書いたユダヤ系哲学者に関する評論書は、脱出後に出版されたが、すぐに発禁となった。第2次世界大戦勃発の2年前、1937年にはアメリカに移住する。その後のアメリカでの活躍を含めて、まさに20世紀の時代の激動と共に生きたのだなという印象を強く持った。

 この本からは、個別のことでも特に興味を掻き立てられたことがいくつかある。一つは、ドラッカーの本の書き方。かなりのスピードで原稿を仕上げる技術を身に付けている、と自認しつつ、その方法を紹介している。①手書きで全体像を書く。②それをもとに口述で考えをテープに録音。③タイプライターで初稿。以後、手書き、口述、タイプの繰り返しで第三稿で完成する。なるほどと、これは参考になった。

 もう一つは、彼の人生が、しばしば偶然に左右されており、結果的にとても恵まれている、という点だ。奥さんのドリスとの結婚も、その一つ。ドラッカーは、旧知だった彼女と、ドイツ脱出後のロンドンで偶然に再会する。エレベーターで擦れ違ったというのだが、その場面は、ドラッカー自身、まさに人生最高の瞬間だったと述懐している。他にも、時代の激動に揉まれて何度も職を失いつつ、かえって可能性を広げていったという印象を持った。偶然を、次々と幸運に結び付けていった、ということだろうか。

 この本からは、ドラッカーの魅力がよく伝わってくる。巻末に、ドラッカーの人生年表や、著作一覧、米新聞・雑誌への主な寄稿記事・論文一覧が付されている。それらを手掛かりに、この知の巨人をもっと知りたくなることは確かだ。 

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