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2014年10月25日土曜日

嫌われる勇気-自己啓発の源流アドラーの教え-


岸見一郎・古賀史健『嫌われる勇気―自己啓発の源流アドラーの教え―』 ダイヤモンド社、2013

 この本は、今やベストセラーとなっていて、よく読まれているようだ。数日前に書店に行くと、一般書や話題の本のコーナーに、平積みになっていた。本の内容は、アドラー心理学の入門書である。アドラーは、心理療法においてフロイトやユングと並ぶ高名な方らしいが、日本では余り知られていない。フロイトやユングが、潜在的な無意識を重視したのに対して、アドラーは「勇気」や「自立」を強調するのが特色のようだ。

 本の構成は、ギリシャ哲学やアドラー心理学を研究してきた哲人と、彼の許を訪ねた悩み多き青年との対話形式となっている。対話は、第一夜から断続的に、第五夜まで続く。その中で、青年は哲人に向かって疑問点を繰り返しぶつける。2人のやり取りは、次第に佳境に入っていき、読者はつい引き込まれてしまう。青年の問いが、まずは共感出来るだけに、哲人がどう答えるのかが気になる。対話形式の魅力であろう。

 対話の中で、「肯定的なあきらめ」という言葉が出てくる。この言葉が、話の要に位置するのではないかと思う。まず、「変えられるもの」と「変えられないもの」とを見極める。この時、与えられているものについては、変えることができない。つまり、あきらめが必要だ。しかし、与えられたものをどう使うかは、自分の力によって変えていくことが出来る、というのである。更にこのことを、別様に表現したものとして、古来伝えられてきた祈りを引用している(ニーバの祈りというらしい)。「変える事ができない物事を受け入れる落ち着きと、変える事のできる物事を変える勇気と、その違いを常に見分ける知恵を授けて欲しい」という祈りだ。

  アドラー心理学によれば、すべての悩みは対人関係の悩みであり、内面の悩みなどはない。対人関係の中では、誰も必ず傷つくし、自身も誰かを傷付けている。しかし、対人関係は変えることができる。その方法は、課題が誰のものであるかを考え、課題を分離するというものだ。「その選択によってもたらされる結末を、最終的に引き受けるのは誰か、を考えなさい。そうすれば、それが誰の課題であるか分かる」というのである。そして、他者の課題に踏み込まず、自分の課題には誰一人として踏み込ませないこと、つまり課題の分離が大切だという。対人関係のトラブルはすべて、他者の課題に土足で踏み込むこと、あるいは自分の課題に土足で踏み込まれることにより引き起こされるからだ。

  他者の課題に踏み込むのは、他者を下に見ているからだという。アドラー心理学では、すべての対人関係を横の関係とすることを提唱し、人は同じでないが対等だ、と考える。 「人々は仲間だ」と実感出来れば、世界が違って見えてくる。この時、相手を信じることは、あなたの課題だ。これに対して相手がどう動くかは他者の課題であり、あなたは介入できない。信頼も又、課題の分離の問題であり、肯定的なあきらめを土台としている。相手からの承認は必要ない。例え嫌われても、構わないのだ。 

 対話の最後では、我々には「今、ここ」しかないことが強調される。人生は、線ではなく、連続する刹那であり、過去も未来もない。計画的な人生など、不可能だ。今できることを、真剣に丁寧にやっていくこと、今日という1日は、そのためにあったのだという。これも又、与えられたものを、どう使うか、という肯定的なあきらめの問題だろう。この時、あなたに足りないのは能力ではなく勇気だ、という話には説得力を感じたし、力付けられた。「今、ここ」を真剣に生きれば、その刹那は完結しているというのである。