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2013年11月17日日曜日

天命つきるその日まで

天命つきるその日まで アンパンマン生みの親の老い案内 (アスキー新書)
やなせたかし『天命つきるその日まで アンパンマン生みの親の老い案内 (アスキー新書)』、2012

 著者は、アンパンマンの作者として有名である。今年(2013年)の9月、浜松市美術館では、「やなせたかしとアンパンマンのキセキ展」が開催されていた。その折りに売店でこの本を購入したが、まさか、その翌月(2013年10月)に亡くなられるとは思わなかった。94歳、まさに天命つきるその日まで、人生を全うされたのだと思う。

 幼い子供たちに、アンパンマンは、大変な人気がある。孫の通う保育園では、行事の際、アンパンマンの着ぐるみを来た職員が登場して、子供たちと一緒に写真を撮るのが恒例になっていた。なぜ、アンパンマンにそんなに人気があるのか、ちょっと不思議な感じもする。昔から子供達のヒーローは存在して、かつては月光仮面、鞍馬天狗、エイトマンなど、その後ウルトラマン、仮面ライダーと、ヒーローの変遷があった。その中で、アンパンマンは、どこか違うような気がする。余り、ヒーローらしくないのだ。

 この本を読んで、アンパンマンの人気の秘密が、少しだけ分かるような気もした。又、94歳まで生きて現役で活躍を続けた人物の、思いや経験の一端に触れたような気がした。印象に残った点をまとめると、こんな具合だ。

①著者にとって、人生は想定外だったと書いている。まず、65歳くらいで終わりだと思っていたのに、その頃から仕事が増えた。70歳ころから、アンパンマンが人気に。75歳で妻に先立たれて、これで終わりと思った頃、アンパンマンミュージアムの建設や自伝「アンパンマンの遺書」の出版の仕事が入った。この二つを通じて元気になり、気が付けば90歳を過ぎていた、ということらしい。「長寿の秘密なんてあれば、ぼくが聞きたい」と書いているのが可笑しい。一方で、「虚勢を張って元気そうに振る舞うということが、ぼくの命を支えているのかもしれない」と言う。

②著者は、天才の仲間たちを大勢見てきた。手塚治虫、いずみたくなど、確かに錚々たる人たちだ。いずれも、著者よりずっと早くに亡くなった。一方で「才うすいぼく」、と彼は繰り返し書いている。人生最後の言葉は、もう決めていると言う。「ごめんなさい」と「ありがとう」だと。平凡だが、自分は平凡だからいいいのだ、と言う。

③著者は、巨匠になるまい、と思ってきたそうだ。若い頃、いわゆる巨匠が、そう呼ばれることで活動が制約される、と嘆くのを聞き、自分はそうなるまいと思ったそうだ。その結果、今でも著者は、周囲から軽んじられる存在だと言う。作品を無料で製作依頼されたり、借金の申し込みがやたらあったり。しかし、自分は巨匠になりたくない、気楽にやりたいのだから、と納得していると言う。

④万事に謙虚な著者であるが、この本では自慢げに書いてる箇所が少しある。そのひとつは、「世界中で、原稿用紙三枚の作品を、こんなにたくさん書き続けてきたのは、僕以外にはいないと思う」という箇所。原稿用紙三枚とは、長く続けたラジオ番組の原稿だったり、メルヘンだったり、最近の新聞連載だったり。そのラジオ番組の原稿の中に、アンパンマンの原型のようなものもあったのだそうだ。多分、アンパンマンに登場する驚くほど多彩で膨大なキャラクターも、そうした原稿用紙三枚の蓄積から生まれたのではないか。もっとも本人は、自慢の後で、「自分では三枚作者であることに妙に感動してしまった。三枚という所が、自分に似合っていると思った」と付け加えていて、それも可笑しい。

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