2013年2月25日月曜日
当事者研究の研究
石原孝二『当事者研究の研究 (シリーズケアをひらく)』、医学書院、2013。
最近様々に注目を集めている当事者研究についての研究である。タイトルの通り、前段は当事者研究そのものではなく、当事者研究という研究の可能性を問うている。後段は当事者研究を行なってきた研究者の考察も含めて、対談が収められている。この領域は正直とても難しいという印象が非常に強いが、その分、論考はいずれも興味深い。
当事者研究というと当事者主権等も一つのテーマとして関連していると思われるが、ひとまずはわけておいた方がよさそうだ。当事者研究は、元々の契機からいうと、障害や問題を抱える当事者が、自らの問題を「研究」することを素直に意味している。その目的は、はっきりしないところもあるが、障害や問題の解決(通常の意味の解決はないとみたほうがいいようだ)がまずあり、その上で、その方法や成果について、当時者を離れて多くの人々にも示唆がある、とみなされる。
障害や問題の解決が最大の目的かどうかはっきりしないというのは、当の解決が通常の意味で理解される場合、それは研究というよりは治療と呼んだ方が良いように思われるからである。そういわないのは、それだけの理由があるからだ。と同時に、当時者を離れたその方法や成果の示唆について、それは二次的な成果であるというよりは、むしろこの点まで含めて重要な意味を持つと考えるところに、研究であることの意味と、合わせて、通常とは異なる解決の可能性が見出されている。研究するということは、すでに、自分の問題を自分の問題ではない形で取り扱う、ということが含意されているといえる。
一番印象的だったのは対談の一節。
「・・・当事者研究は、(幻聴障害という問題を)『幻聴さん』という形で外在化しつつも、それを自分の大事なものとしてまた自分の中に引き寄せてちゃんと抱えているんです。しかしそれは『持ちやすい形』にして抱えられているんですね。・・・研究という形で担われることによって、その問題自体が変質しているんじゃないか(163頁)。」
これが望ましい「解決」かどうかはまったくわからないが、、、しかし、研究という意味では、一つの方向性が提示されるように思われる。
本文でも書かれていたが、この当事者研究という方法そのものが、後はどのくらい一般の人々にも応用可能かというところも重要だろう。しかしもともとは「一人一研究」という企業の方法だったことからすれば、いろいろと汎用性がありそうだ。というよりも、この手の方法は、いわゆるトヨタに代表されるカイゼンやTQCのような気がする。
もっといえば、問題を自ら切り離し、対象化し、その上でそれを取り戻すという方法は、「科学」にも通底する気がする。もっとも科学の場合は、最後の取り戻すという段をほとんど止めてしまっている(あるいは、さっぱり分業化している)という点で、批判的な考察を行なうことができるのかもしれない。このあたりが、前段の研究者の狙いのような気もする。