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2012年8月29日水曜日

われらゲームの世代50

ひとまずここまで。

ゲームのことでも思い出してみようと思って、6月ぐらいから毎日少しずつ書いてきた。ちょうどきりもよく?50までいったし、それからドラクエの話も一区切りついたから、ひとまずここで一休憩にしよう。以前コメントにもらった通り、漫然とつれづれ書いているだけでは、文章は決定的には良くならない。一度反芻するタイミングが必要だ。

それにしても、僕はどうしてゲームの話を書こうと思ったのだったかしら。そういえば昔ゲームをよくやっていたなぁ、という感覚がきっかけだったか。その上で、その感覚を今思い起こし、明日につないでみようと思ったのだったか。

書いていて思ったのだが、前半ののぶやぼあたりまでのシミュレーショントークはいろいろと発展があるように感じたが、後半のドラクエトークあたりはあんまり面白い展開ができなかった。それがなぜなのか、この辺りを考えてみると重要なアイデアにつながるかもしれない。

考えてみると、コーエーのシミュレーションはリアルの世界をうまく題材にしていた。だから、ゲームがそのままリアルにもつながりやすかった、そこで今現在にもつながりやすいのかもしれない。RPGは総じてゲームの世界として完結しているから、それはそれで面白いがなかなか今には生きてこないのかもしれない。昔読んだ小説を思い返し、今につなげようとしているという感じだろうか。

あともう一つ念頭においていたのは、リセット批判だった。リアルの人生をゲームのようにリセットできると思っている、と言われたわれわれについて、どうやって擁護しようかと思っていたのだった。一つには、そう思っているのは人間共通。更には、ゲームでもそう簡単にはリセットできない。そんな話をしてきた。

最後になってもう一つ思ったのは、むしろリセットできるよ、そう思った方が世の中もいいよということだった。確かに、ドラクエなどで、無謀と知りながら何度もボスキャラに挑戦し、やられるたびにリセットをして(しなくても強制的に繰り返されるのだが)、半分やけになりながらゲームを繰り返していたことがあった。

これは、大事なことだったのではないだろうか。リセットが押せないと思ってこの世界を生きていたら、ずいぶんと窮屈で慎重に生きていかなくてはならない。もっと自由に、最悪死んだって良いじゃないかぐらいで生きていった方が面白くないだろうか。いや、死んだら困るが、会社で怒られて給料が減るぐらいだったら、全然問題ないじゃないか。少しぐらいはリセットできるぜぐらいで、生きてみたらどうだろうかと思ったのだった。

まずはやってみる。やってみて駄目だったら、別の手を考える。リセット批判は、そうだ、そのぐらいの気持ちでやってみようというポジティブマインドに反転できる気がする。

ということで、ちょうど8月も終わる頃。

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