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2012年8月20日月曜日

われらゲームの世代43

そして伝説へ2

ゲームの中で伝説が生まれるとともに、そこまで大げさではないにしても、僕の記憶の中でも、このゲームは一つの伝説になった。そう考えると、ドラクエ3のサブタイトルはダブルミーニングである(ダブルミーニングという言い方が正確かどうかは知らない。昔、バンプのシークレット音源に収録されていた会話のやり取りで、歌詞がダブルミーニングとかトリプルミーニングとかいう話があって、それがなんだかかっこいいと思ったのだった。ようするに、意味が二重になっている。)

だが、普通ダブルミーニングというと、雨と飴、雲と蜘蛛といった言葉遊びをいうと思う。これに対して、そして伝説へというタイトルが示唆するダブルミーニングとは、作品の中と作品の外にかかっている。単に2つの意味があるというよりは、2つの世界にまたがっていると言った方がいいかもしれない。

この手の話は、そういえば宮台真司氏がどこかで書いていた記憶がある。演劇を見に行った際、小道具として用意されている花瓶が、演劇前の準備中に倒れてしまうということがあった。実は、その花瓶は演劇中にも劇の一部として倒されるストーリーになっており、更にそれに関連して、倒れた花瓶に言及する台詞が何度か用意されているという形になっていた。

そのため、演劇の中で倒れた花瓶への言及がなされるたび、それが劇の中の世界の出来事をいっているのか、それとも劇の外の世界の出来事を言っているのか意味が二重になった。これがとても面白かったという。

そこで劇が終わったのちに、宮台氏は監督に対して、準備中に花瓶を倒したこと自体も演出だったのかどうかを尋ねた。監督はそれは偶然だと言ったという。これに対して、宮台氏としては、意味の二重性を狙ってわざとやったのだと言ってほしかった、と書いてあった気がする。

ドラクエ3のサブタイトルがどこまで狙ったものだったかはわからない。しかしいずれにせよ、そして伝説へというとき、それがロトの勇者をさしているのか、それとも僕にとってのドラクエをさしているのか、それがゲームの世界の話なのか、それともゲームを遊んだ僕の世界の話なのか、両義性を帯びている。

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