魔法と名前
ゲド戦記でもっとも印象深いのは、それゆえにストーリーというよりも、その世界観である。ゲド戦記は魔法が支配する世界だが、魔法は事物に与えられた「本当の名前」を知ることで成立する。
例えば、ゲドという名前は主人公の本当の名前であり、通常は隠されている。彼は普通は「ハイタカ」とよばれており、ゲドという名前を明かすことはない。もし、その本当の名前を知られてしまえば、彼は生命の危機にさらされることになる。
影との戦いの一つのポイントは、影がゲドという名前を知っているという点にある。影がゲド自身であるから、それは当たり前である。影がもっとも強大になる瞬間、影はハイタカに対して「ゲド」と呼びかけ、ハイタカの力を奪い取る。
これに対して、ハイタカは影の名前を知らない。長い旅の果てで、影もまた自分であることを知るのである。ゲドの旅は二重である。外に向かい、影の名前を探す。同時に、それは自分に向かう旅でもあり、自分の名前を確認することになる。
ゲド戦記ではすべてのものに名前があり、通常は隠されている。魔法を学ぶとは、ものの本当の名前を覚えていくプロセスとして描かれる。鳥になりたければ、鳥の本当の名前を知るしかない。風を操りたければ、風の本当の名前を、そして人や竜と戦うためには、その人や竜の本当の名前を知る必要がある。
ゲドが魔法使いとしての高い素養を備えていたのは、この本当の名前を知る力に長けていたからである。そしてその力は、根本的には、この世界を言葉とともに創造したとされるセポイの生まれ変わりであるからと考えられる(この辺りは、ちょっと違ったかもしれない)。
ゲームにも使えそうな世界観ではある。ベギラマで100ポイントのダメージという話ではなく、そもそもそうした魔法が使えるのは、その本当の名前を知っているからであり、その名前を知ることこそが鍵なのである。この辺りの世界観は、ドラクエやFFとは、やっぱり少し違うように感じる。