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2012年7月2日月曜日

われらゲームの世代9

群雄伝

もちろん、当時の僕にはそんなことは知る由もない。大事なのは、そのゲームで遊ぶということだけだ。全国版は大名しか登場しないのだが、群雄伝はたくさんの武将が登場した。羽柴秀吉もいたし、明智光秀もいた。そういえば、羽柴秀吉という名前はとても新鮮だった。さらに新しいものになると、木下秀吉なんて表記もあった気がする。豊臣秀吉ではないのだと思った記憶がある。家康も元康だったり松平だったりした。

全国版よりも新しくなったはずだが、群雄伝には北方の国が登場しない。データ容量の問題だったのだろうか。武将の数も増えたし、処理すべきパラメータも増えた。全国版では、文字通り全国版と先のローカル版17カ国編を選択できた。小学生の僕は、ローカル版をクリアした記憶はあるが、全国版をクリアした記憶はない。それに、基本的には、この手のゲームはクリアを目的としているわけではない気がする。さっきもいったように、所有する国の数が増えてくると、だいたいめんどくさくなって新しく始めたくなる。

あぁ、これがリセットしたくなるということだったのだろうか。けれどもそうだとすると、失敗をリセットで帳消しにするのではなく、成功(統一)が近づくとリセットしてまた苦労したくなるということになる。おかしな話だ。

群雄伝は、そういうわけでたくさんの武将が登場する。それぞれの武将も印象深かったが、特に覚えているのは、知力と武力の値の合計が150(140だったかもしれない)を超えると、軍師としてコメントしてくれるようになるという仕組みだった。これ自体は、もともと三国志で採用されていたものだと思うが、のぶやぼにそれがもちこまれたわけだ。知力と武力はそれぞれ100が最大値であるから、平均すれば75以上で軍師になることができた。ちょっとお気に入りの武将が自分の意思決定に対して何かしらコメントしてくれる。これは心を刺激する仕組みだった。勝てない戦いを挑もうとすると、「との、むぼうですぞ!」と言われるわけだ。

知力や武力は決して固有の値ではなく、上昇させることができる。そのためのコマンドが「教育」であり、「教育」に影響を与える要因が、その国の「文化度」だった。ゲームをしたことがない人にはわかりにくいだろうが、のぶやぼなどのシミュレーションゲームは、登場人物にそれぞれ能力に関する特定のパラメータがあり、国毎にも生産力などに関する特定のパラメータがある。これらのパラメータを上げていくことで、戦いを有利に進めていくことができるようになる。その中にあって、多分「教育」はそんなにメインのコマンドではない。最初から強い武将はたくさんいるし、国の「文化」を高めても、生産力自体はほとんど変わらないからである。

僕は「教育」にこだわった。友達にその話をしたら、それってなにかおかしいよ、と言われた記憶がある。そうかもしれないが、とにかく軍師を作り、平凡な能力の武将を一流にすることが楽しかったのだと思う。

「文化」のパラメータは、正確にいえば直接上げることがほとんどできず、国毎の固有のパラメータに近かった。文化が高いのは、京都を中心とした近畿圏の国々である。まずはこれらの国をとる。そしてたくさんの武将を送り込み、「教育」し、軍師にしていく。そんなことをひたすらしていた。今から思えばくだらないことの極みだが、当時はそれが楽しかった。またひとりまたひとりと軍師が生まれていくわけである。服部半蔵みたいな武力しかない武将が知力をつけ、軍師になると特に感慨ひとしおだった。


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