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2012年7月20日金曜日

われらゲームの世代22

ファミマガとファミ通

情報を提供する補完産業といえば、ようするにゲーム雑誌の登場である。当時、ゲームに関する重要な雑誌が二つあったと思う。ファミマガとファミ通である。さらに驚くべきことに、ファミマガは1985年に発行されている。ファミ通は1986年だという。僕がゲームについての意思決定を変え始めたのは、いよいよ単に年齢のせいだけではなかったのかもしれない。まさにそうした情報が外部から定型的に与えられるようになったのだ。

もはや中身は覚えていないこれらの雑誌については、Wikipediaが最高に役立つ。そうだった、これらの雑誌がいかに革新的であり、今の僕たちにとって重要な知見を提供していることか。

ちなみに、先の『教養としてのゲーム史』に引き続き、『日本を変えた10大ゲーム機』を読むと、このあたりの雑誌の成立が業務用ゲーム機の進展と重ねて記述されている。とても面白く、そういえばそうだったという記憶がよみがえる。

当時のゲーム雑誌は、新作の告知やゲーム内容の紹介、ランキングはもちろんのこと、裏技やウソテクの記載がいっぱい載っていた。これらは読者からの投稿であることも多く、結構画期的な裏技が紹介されていることもあった。僕もそれをみながらいろいろとゲームをした記憶がある。

僕たちに情報を提供しつつ、僕たちからの情報を集める雑誌。なんとインタラクティブな話ではないだろうか。インターネットが出来て、ゲームの情報はwikiでまとめられるようになったけれど、その仕組みはずっと前に確立されていたということになる。考えてみれば、時間が早くなったという以外、ゲーム雑誌の情報とwikiの情報自体はそんなに違いはない。

テレビというメディアを中心にゲームは展開した。この点については、ゲームはテレビに接続されねばならなかったし、その現実は今も変わらない。携帯型ゲーム機ですら、そうしたテレビからの離脱として捉えられるという点では、依然としてテレビを軸にして語ることが出来てしまう。Wiiについては、テレビのチャンネルとの親和性を考えることも出来る(『日本を変えた10大ゲーム機』にそのくだりがあり興味深い)。その一方で、ゲームと結びついていたのはテレビだけではなく、雑誌であったり、あるいは今であればインターネットであることがわかる。オンラインゲームはいうにおよばず、ゲームは多くのメディアとひどく親和性が高いように見える。


教養としてのゲーム史 (ちくま新書) 日本を変えた10大ゲーム機 (ソフトバンク新書 87) 幸せな未来は「ゲーム」が創る