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2012年7月18日水曜日

われらゲームの世代20

ファミコンの前のゲーム

もっとも、このような視点はちょっと極端かもしれない。ファミコンができる前から、スタンドアローンのゲーム機(のようなもの)はたくさんあった。僕も、いとこと一緒に買ってもらったゲーム機があった。当然ファミコンが出る前、小学校に上がる前のことになる。

当時、僕が買ってもらったのは、恐竜の目を盗んで卵を集めるという単純作業のゲームだった。恐竜に見つかるとゲームオーバー、時々始祖鳥が飛んできて集めた卵を盗んでいく。火山も噴火して、それに当たるとやはりゲームオーバー。今でもありそうな設定だが、少なくともそのゲーム機は今のような完全液晶ではない。

キャラの動きのパターンは事前に用意されており、それ以外の表示はできなかった。多分、自分の領地から恐竜の卵までは4、5歩になっていて、火を吐く枠もトリが飛ぶ枠も決まっていた。大事なことは,そこが光るタイミングを予測し、ゲームオーバーにならないようにすることであった。いとこは確かドラキュラのゲームを買っていたが、仕組みは同じようなものだったと思う。

でもそこまで思い出してみると、これら恐竜のゲームもドラキュラのゲームも、遊び方は一つしかなかったような気がする。マリオのようにルールが変更されることは多分ない。卵を集めずにじっと自分の陣地でゆっくりしていることは可能だが、そんな遊びをする人はいないだろう。何かをせねばならないのであり、そうである以上、卵を取りにいくしかないのである。そう考えると、ルールを変えられるようになったのはマリオブラザーズ以降だということになる。

思いつくままにゲームの連想を続けよう。エキサイトバイクを遊んでいた頃、あるいはもう少し後になって買ったゲームに忍者君とジャジャマル君がある。いずれも忍者シリーズということになるが、基本的には別の仕組みを持ったゲームである。だが同時に、忍者君とジャジャマル君は兄弟という設定だったと思う。ようするに、それぞれのゲームが大きなストーリとしては包括されていたわけだ。それがどういう意味を持っていたのか、もはや覚えていない。けれども、今思えば、ゲームをシリーズ化したり、大きな世界感の中に位置づけていくという方法は、ずいぶんと昔からあったということになる。

個別のゲームそのものは、定番ともいうべきゲームの仕組みを兼ね備えている。時代を経たこともあり、マリオブラザーズからはずいぶんと洗練されていた。特にジャジャマル君はマリオブラザーズに似た画面構成になっていたが、敵のやっつけ方、それからアイテムの存在などいろいろと新しかった。確か条件を満たすとガマガエルを呼び出すことができ、このときはジャジャマル君は無敵状態であらゆる敵を倒すことができた。マリオもスーパマリオからはスターが登場することになったが、似たような仕組みだったと思う。

忍者くん魔城の冒険 じゃじゃ丸の大冒険