ラベル

2012年7月6日金曜日

われらゲームの世代13

テーブルゲーム

ルナティック・ドーンで思い出したのだが、RPGの中でも自由度の高いゲームは、もっと昔にテーブルゲームとして流行った(正確になんといわれていたか覚えていない、テーブルトーク、ボードゲームと言ったかもしれない)。僕はそんなに興味もなく、もっぱらテレビゲーム派だったのだが、中学校の頃、1、2回テーブルゲームをやった記憶がある。

テーブルゲームは、ゲーム機器を使わない。双六のようなマップがあり、サイコロを振って進む。敵に当たると戦闘となり、再びサイコロを振って勝負をする。もしかすると、特にマップすらなく、特定のシチュエーションを想定して、戦闘だけが始まるのだったかもしれない。戦って経験値が蓄積されればレベルアップとしてパラメーターが変化し、再びサイコロを振って先に進むことになる。

ゲームを始める前に、それぞれキャラクター設定をする必要がある。おそらく、仕様の書かれた本があり、その内容に従ってキャラクターの基本パラメーターを割り振る。ついでに、キャラクターのイメージ絵や正確も自由に書いてみて、以降、そのキャラクターになったつもりでゲームに参加する。

僕は慣れていないので、かっこいい戦士のキャラクターをイメージしてみたものの、絵は楽しく書いてみたがそのキャラになりきることに照れがあった。ついつい素に戻ってしまい、ダメ出しをされた。慣れている友人などは、なんだか女の子キャラクターを書いて女の子口調でゲームしていて、よくまあそんなことができるものだと感心した。ロールプレイングとは、もともとそういう意味なのだということをずっと後で知った。

その世界はソードワールドだったような気がする(ソード&マジックだろうか。のちにスーファミのゲームになったようにも思う)。自由度は当然高く、その場のみんなの興味で世界観は大きく変わった。だんだん飽きてくれば、ゲームの世界よりも現実の話に花が咲く。お菓子でも買いに行こうかということになれば、ゲームはそれで終わりだった。またおもしろいことに、ゲームの世界と現実がきれいに重なっているから、ゲーム中のキャラクターの設定でおなかすいてきたなぁといえば、それがそのままじゃあ隣のコンビ二(当時コンビニがあったかどうかよくわからない)に行こうかということになったはずだ。

そのときには、その後は普通にゲームをした。それはファミコンではなくセガであり、はじめて見たRPGのゲームだった。名前はど忘れしてしまったが、経験値も得られたからリターンで帰ってセーブしろ、と言われたのを覚えている。ドラクエで言えばルーラだろう(ドラクエについては、長い歴史があるから、もっと後でゆっくり話そう)。

ゲームというと、現実から隔離されてしまうことが問題といった批判が当時もされていたように思うけれど、およそ的外れだったことになる。少なくとも僕たちは、みんなでゲームをしていたし、ゲームを通じてみんなと話をしていたし、さらには、テレビゲームだけがゲームのあり方ではなかった。きっと,今もそうなのだろう。カードゲームとか、ケータイゲームは知らないが新しいタイプのゲームもまた、およそ現実から隔離されているという気はしない。

リターンやらルーラやらで戻ってセーブするという考え方も、どこがリセットして最初からやり直したくなる衝動につながるのだろうか。ゲームの世界は、いつの間にか(あるいは、最初から)、極めて現実に近い蓄積型の世界を作り出していたのだとも言える。知らぬは大人だけだったわけだ。


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