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2012年7月4日水曜日

われらゲームの世代11

PC版

つらつらとのぶやぼの話を書いてきたが、武将風雲録のころ、僕はもう一つの「のぶやぼ」を知るようになった。PC(パソコン)版、信長の野望である。ゲームの中身そのものが変わるというわけではないだろうが、多くの点で、上級版であったといえる。

中学生になって、また後で触れたいと思うが、パソコンが一般の家庭にも普及し始めたのだった。今のようなノートパソコンもなければ、液晶ディスプレイもない。マイクロソフトだったが、ウインドウズもなかった。パソコン通信はあったが、ネットはない。当時の人たちがどういう風にパソコンを利用していたのかはよくわからない。ワープロの一種として使っていたのかもしれない。ゲーム機だったというべきかもしれない。

国民機といわれたPC88やPC98シリーズがNECから発売されていた。僕がパソコンという存在を知ったのがいつだったのかを正確に思い出すことはできないけれど、中学生のころ、FM-TOWNSというパソコンを電気屋で見たのを覚えている。ソニックザヘッジホッグがデモプレイで動いていて、ずいぶんと単調なゲームだと思った。実際、その前後に友人の家でFM-TOWNSの実機が置いてあり、何かのゲームをさせてもらった。やっぱり単調だった。

当時の僕の記憶を探る限り、パソコンゲームはファミコンに劣っていた。ファミコンが爆発的に普及し、たくさんの開発者がしのぎを削ってゲームを開発するようになっていたかもしれない。あるいは、8bitや16色、さらには容量という制約があればこそ、ゲームの質を極限的に高めようとする意識が働いたのかもしれない。コントローラーの存在が大きかったのかもしれない。パソコンはマウスとキーボードで動かすからだ。やりにくい。

この中で、例外的にパソコンゲームの方が良さそうにみえたのがシミュレーションゲームだった。実に理由は簡単で、操作はキーボードで問題がなく、なによりもグラフィックが素晴らしかった。ファミコンは16色、これに対して、多分パソコンは256色、もしかすると、もっと出せたかもしれない。表示形式で16ビット、24ビット、それから32ビットというようなものも後々にはできていた。信長の野望で見た場合、その美しさは段違いだと思った。パソコン雑誌に載っている信長の野望や三国志は、国マップがカラーで色付けされていた。もうそれだけで、僕には別のゲームだった。さっきのフォローをしておくと、ソニックもグラフィックは段違いだった。

ずっと後になって、FM-TOWNS開発当時の話を関係者の方から伺う機会があった。FM-TOWNSは、確かパソコンではじめてCD-ROMが読み込めるようになっており、グラフィック能力がずいぶんと強化されていた。この性能には多くの人々が興味を持っており、ビル・ゲイツも実機を見に来ていたのだという。ジョージ・ルーカスも注目していたというような話を記憶している。そこには、ifがあったのかもしれない。もし、ビル・ゲイツが富士通と組んでいたら。もし、ジョージ・ルーカスが、富士通と何かを始めていたら(これは実際に始められていたというべきかもしれないが、それはまたどこかで話をしよう)。

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