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2012年6月24日日曜日

教育と平等

教育と平等―大衆教育社会はいかに生成したか (中公新書)
苅谷剛彦『教育と平等―大衆教育社会はいかに生成したか (中公新書)』、2009

この本は、1958年から以後の日本の教育の歴史を振り返るものである。1958年が出発点となるのは、この年に二つの重要な制度が作られたからだ。一つは「改訂版学習指導要領」、そしてもう一つは「義務教育における学級定員及び教職員標準法」(以下「標準法」と略記)である。(ちなみに、この年に東京タワーが完成したと付記されている。)

戦前も、そして戦後も、義務教育においては教育条件の地域格差が問題であった。財政力のある地域と、そうでない地域の間に、大きな学力格差があったのだ。それを、どのように埋めるかが、教育行政の大きな課題であった。1956年には、全国学力調査が行われ、地域の財政格差が得点差と相関することが明確となった。1958年の二つの制度は、いずれも教育の「標準化」を通じて、この格差を無くしていこうとするものであった。

まず、教育財政においては、教員の給料がほどんどを占める。標準法は、小中学校における学級定員の上限を定めることで、児童生徒数に応じた学級数を決め、それをもとに教職員の数を算出する。こうして、人件費部分の算出を行うのである。この決め方について疑問を持つ人は、まずは余りいないかもしれない。ところが、これは厳しい財政状況の下で、現状追認的に教育費を算定しようとするものであった。「本来であれば、他の先進国と同じように、合理的科学的に生徒1人当たりの単価費用を計算し、それに応じて生徒数を乗じて教育費の計算と配分が行われなければならないと考えられていた。」しかし、それが出来ないので、やむを得ずあくまで財政的に負担可能な数を算出できる仕組みを作ったのだ。1学級の児童・生徒数が多いのは、全く無視することにした。指導要領は、暗黙のうちに一斉授業や共通のカリキュラムを前提している。

著者は、その後の日本の教育事情を追跡する。この本では、都道府県の財政力指数と小中学生の1人当たり学校教育費の相関を、1955年から1995年まで5年ごとに調べてグラフで示している。実に驚くべき変化が、グラフに現れている。豊かな県ほど1人当たり教育費が多いという構造は、1960年代半ばにストップした。両者の関係は、1970年から1975年にかけては負の相関関係が深まり、これが1980年代半ばまで続いた。そして1990年代になると、逆相関の関係も弱まっていったのである。又、同じ事が他の指標の相関からも見て取れる。つまり、1958年に作られた二つの制度は、長年の懸案であった教育条件の地域間格差の解消をもたらしたとみることが出来るのである。全国学力調査の結果も、1960年代と2007年を比較すると、地域間格差について同じ結論を示している。

こうした歴史的経緯についての解釈は、とても面白い。政策が、明確な展望を持って設計された訳でないのに、人口減などで思わざる成功を収めたこと。一方、財政事情で一斉授業を進めたことが、日本に独特な「面の平等」をもたらしたこと。著者がこの本で示した調査によって、初めて1970年代の大きな変化が捉えられたこと。この本が明かるみに出した事実は、そこからまだまだ深い意味を汲み取ることが出来そうである。

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