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2012年6月29日金曜日

われらゲームの世代8

のぶやぼ

のぶやぼは、やはり新鮮だった。当時は漢字表記もできないから、「おだのぶなが」とひらがなで表記される。年貢の率を上げるとすぐに民の忠誠度(「たみちゅう」と表記されていた)が下がり、一揆が起きた。「のぶながさま、たみがさわいでおりますぞ」、とよくアナウンスされた。後、そういえば尾張も「おわり」と表記されていたから、僕にはその意味が分からなかった。いつも画面の上の方に「おわり」とでていて、何が終わりなのだろうかとずっと思っていた。今思えば、なんのことはない信長が治めている尾張国ということだったわけだ。

ゲームの仕組みはシンプルで、石高のパラメータを上げて税率に応じた兵糧や金をもらい、それで兵を雇って力を蓄える。隣国より強くなったと思ったら攻め込み、領土を広げる。だいたいこの繰り返しである。国の数が増えてくると作業がめんどくさくなるので、途中からはコンピュータに統治を任せることになるのだが、コンピュータの要領がとても悪かった(ような気がする。だが、逆だったかもしれない)。コンピュータの統治が優れていたのは、水滸伝の方である。ちょっと資金と人員を割り当てておけば、瞬く間に国力が増大した。

後のシリーズでは、ゲームの後半にも飽きがこないようにいろいろと工夫がなされていった。残った国が弱者連合を組んで合併してしまうという仰天プランもやがて組み込まれた。その必要があったのかどうかわからないが、多くの人が後半がつまらないと思っていたということでもあろう。現実には、後半こそきっと面白いはずだ。貧しい生き死にの世界よりも、天下人としての地位を確立して、楽しく遊べた方がいい。(それとも、それでも昔を懐かしむのだろうか)。

僕が中古で買ったのは、正式名でいえば『信長の野望・全国版』というゲームソフトだった。全国版というぐらいだから、多分ローカル版もあったのだろう。実際、このゲームでは、近畿エリアぐらいまでのバージョンと、全国版と二つの範囲を設定できた。もともとはパソコンでヒットしたゲームだった。

その後、信長の野望は先にもいったようにシリーズ化され、続編が続く。三国志は数字を重ねていくこと(三国志1、三国志2、三国志3・・・)になるが、のぶやぼは数字はつかず、副題が新しくつけられるという仕組みだった(信長の野望・全国版、信長の野望、戦国群雄伝・・・)。どうしてこういう形にしたのか興味があるところだが、まあ偶然だろう。

たくさんののぶやぼのなか、一番印象に残っているのは、この後にでた『信長の野望・戦国群雄伝』である。これは本当に良く遊んだ。戦国群雄伝は、中古ではなく,当時近所に新しくできたおもちゃ屋(名前は忘れたが、トイザラスのようなものだろう)で発売してすぐに買った。この頃には、ゲームも決して定価では売られなくなっていたように思う。ソフトそのものの値段は上がっていたが、一方で、販売価格は値引きがあたりまえになっていた。

今から思えば、新しいおもちゃ屋ができ、それは多分チェーンオペレーションによって運営されており、メーカーに対しての交渉力を持っていた。そのころはまだおわりやもあったし、任天堂は卸売業をうまくマネジメントしていたけれども、その力がだんだんと変化していた頃だったのだろう。中古ソフトが出回るようになるということ自体、ずいぶんとゲームを取り巻く状況が変わってきたことを意味していた。

さっそくwikiで調べてみると、戦国群雄伝は1988年に発売されたとある(それで思い出した。戦国群雄伝には裏技で本能寺の変があった)。まだファミコンの全盛期であり、任天堂はその後スーパーファミコンを投入し、盤石のゲーム帝国を築き上げるころである。小売業者の力の増加も、それから中古ソフトの登場も、当時はむしろ補完産業が成長しているといった感じだったのかもしれない。当時のことを調べてみると、今のゲーム業界を考えるための良いアイデアが見つかるような気がする。


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