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2012年6月23日土曜日

われらゲームの世代2

人生をリセットしたいと思うことがあるのは、僕らだけじゃない。誰だって同じ

ゲームのように人生を感じている。ただ、これは昔の新聞記事にはよくあった主張とは違う。リセットを押せばやり直せると思っているーー本当にそんなことを持っていた人がいるのかどうかは疑問だし、可能ならば(それは強く不可能であるという答えに裏打ちされた上で)リセットを押してやり直したいと思っている人は、考えてみればそもそもどの世代にだっているだろう。ビートルズのイエスタディを思い出せ。

あるいは、僕たちの世代は、本当に、リセットを押してしまうような人たちがいる、という意味だったのかもしれない。だが、これはもっと正しくない。現実問題として、そんな人は決して多くなかったからである。周りを見ても、思い切ってリセットを押してしまったよ、という人はまだいない(まあ、人間関係に恵まれている方ではあると思うが)。多分、センセーショナルなタイトルを付けたニュースに踊らされているだけである。後で少し確認してみてもいいが、例えば、ゲームが犯罪率を上げてしまうのか、それともむしろ抑制するのかについては、90年代ぐらいにいろいろ議論があったが、明確な答えは今も出ていないと思う。

僕たちは人生をゲームのように感じているかもしれないという認識は、僕の中ではもう少し別の形をとっているといった方が正しいかもしれない。すなわち、僕たちは、ゲームとともに人生を作り上げてきたのではないか。僕たちの今や未来を語るためには、そのゲームとともに語ってみるとおもしろいのではないか。ゲームのような人生というよりは、少し言い換えることになるが、ゲームとともに生きてきた世代と考えたらどうかと思うのである。

もちろん、僕たちの人生はゲームだけで成り立っていたわけでもない。そんなことはよくわかっている。ゲーム以外にも僕たちを形作る出来事がいろいろとあったし、きっとその人に固有なものもたくさんあるだろうと思う。それを否定する気はない。あくまで、ゲームはストーリーを構成する上での一つの軸である。また、その限りでは、これからの話題は僕たちの世代のもの、というよりは、僕に関連づけられた世界の出来事といった方がいい。それぞれの人生があっていい、というか、それはあたり前だと思う。

これからの文章は、基本的に自分語りである。正直に言えば、世代のために書いたというわけではなく、自分を振り返って書いたものをまとめなおしているだけだ。ただ、こうしてブログに書いてしまう以上は、誰かがそれを読むかもしれないという点には気をつけている。そのために、誰かがそれを読んだとき、何か感じることや考えることができればと思った。
同世代の方々は、そういえばこんなことあったなと思い出しながら読んでいただけるのではないかと思う。同時に、自分なりのもっと違う人生があったことを意識することもできるだろう。僕の自分語りは、ちょっと偉そうに言えば、僕たちの世代を浮き上がらせる一つの手がかりになる。他の世代の方々は、そういう世界があったのかと感じてもらえるかもしれない。さらにいえば、間もなく僕たちが社会を担う世代になったとき、どういう世界を実現することになるのか、一つの手がかりを得ることもできるかもしれない。

読み方はいろいろある。とりあえずつらつらと書き始めていこうと思う。

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