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2012年5月31日木曜日

小商いのすすめ


平川克美『小商いのすすめ 「経済成長」から「縮小均衡」の時代へ』ミシマ社、2012

前書きに述べられているように、本書は商いに関するビジネスノウハウの書ではない。ビジネスとはいかにあるべきか、その姿勢を問うことを通じて、震災後の社会のあり方を考えた書籍だと言える。

大きく3つぐらいのテーマから構成されているように思う。第一に、昭和30年代を前後した社会のありようの変化。この変化は、過去の豊かさを今日的な豊かさの尺度に置き換え、結果として、現在の社会問題を引き起こす契機となった。第二に、出生率の低下の原因を再考察することを通じた、今日の社会の根本的な問題についての再検討。確かに本書で指摘されるように、将来が不安だから出生率が減少している、という一般的な主張は、疑わしい。将来が不安だから、子供をたくさん作ってリスクに備えよう、という主張もまた、単純に成立するからである。最後に第三に、新しい未来に向けた方針として、「いま・ここ」に責任を持つためにも、贈与からはじめ直そうという主張である。

いずれも興味深いが、第一と第三の点については、議論の余地があるように見える。第一の点については、過去はよく見えるものだというノスタルジアを考慮する必要があるだろう。もっといえば、過去がよく見えるということこそ、現代資本主義の戦略に他ならない。昔に返れという主張もまた、結局は今を変化させ、駆動させねばならないという論理のもとにあるからである。小商いの世界が過去にあり得たかどうかというよりは、そういう思考そのものが、現代資本主義とともにしかもはやありえない。それを悲壮のうちに捉えるのではなく、むしろ可能性として捉え直すことこそが、現代の我々の生き方であろう。

それゆえに、第三の点については、改めて始まりとしての贈与を考える必要はないように感じる。もっといえば、原初としての贈与の一撃は、この社会を支える神話でありフィクションでしかない。現代資本主義社会の中で僕たちが考えねばならないのは、こうした神話やフィクションが崩壊した中でいかに生きるのかであり、ギラギラした欲望はもちろんいらないが、無償さも必要ない。僕たちは最初から最後まで、今も昔もソーシャルなのである(そういう意味でのちょっとした贈与みたいなもの、はある気がする)。贈与は常に見返りを要求する形で社会に取り込まれるのだから(そういえば「容疑者Xの献身」は秀逸だった)、それが贈与であることを知ることは既に悲劇でしかない。

答えは、逆説的だが、結局本書が言うとおり、「小商い」をはじめることにあるような気がする。それは、過去のあり方を取り戻すわけでもなければ、贈与としてあるわけでもない。僕たちのちょっとした好奇心や向上心とともにある。本書で一番印象的だったのは、出版社であるミシマ社の存在だった。変わった返信手紙、ミシマ社通信が書籍に差し込まれていて、とても印象的だ。本書でも述べられていたように思ったが、これこそが小商いとみることができる気がする。きっと、ネット時代にも合致する。